松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
「昨日までのこともすぐ忘れる」難病発症の経緯さえも忘れちゃう水田光夏に修造が思わずツッコむ
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2021/03/07 06:01
中2の春に突然発症した水田光夏選手だが、弱音を吐いたことは一度もないという
母:私たち、昨日までのことは過去なので全部忘れて今日を生きています。何があっても必然と考えて。病気になったのは残念だったけれども、それによって新たな出会いがあって、今があるというように捉えています。
水田:いや、忘れようとしているわけではなくて、普通に忘れちゃうだけ(笑)
東京パラリンピック開催決定でスポーツに興味
松岡:それにしてもクラシックバレエやダンスから、どうして射撃になったのか不思議です。踊りは「動」、射撃は「静」です。かけ離れてますよね?
水田:スポーツには興味なかったんですけど、高校2年生で部活動(ESS=English Speaking Society部)を引退してやることがなくなったときに、ちょうど東京でオリンピック・パラリンピックの開催が決まって。母が「何かスポーツを始めてみれば?」と言うので、スポーツも考えてみようかなって思いました。
松岡:すごいお話です。オリンピック・パラリンピックが東京に決まったことで、光夏さんの心が「ちょっとスポーツやってみよう」となったんですから。東京じゃなかったら、スポーツをやってみようという気持ちにならなかったということですよね?
水田:はい、ならなかったと思います。
松岡:オリンピック・パラリンピックにはそういう力があるんですね。射撃に興味を持ったのは東京都主催のパラスポーツの体験会に行ったのがきっかけとおっしゃっていましたよね?
水田:その前にパラ射撃の田口亜希さんのお話を聞く機会があって、銃って見たことも触ったこともないけど面白そうだなと思いました。「東京都パラスポーツ次世代選手発掘プログラム」というのがあって、そこで射撃を体験できると教えてくれたのも田口さんでした。
松岡:田口さんのお話で一番印象に残ったのはどんなことでしたか?
水田:話の内容はあまり覚えていなくて(笑)
松岡:ちょ、ちょっと……えぇぇ!?
水田:あ、でも、田口さんがすごく生き生きとお話しされていて、楽しそうに見えたんです。
松岡:そのワクワクした感じに感銘を受けたんですね! よかった~。それで実際に体験会に行って鳥居コーチと出会った。
水田:それもあまり覚えてないんですけど……
松岡:ちょっと光夏さん、コーチの前でどうしてそんな失礼なこと言えるんですか!
母:昨日までのことは忘れちゃうからね(笑)
水田:鳥居さんとお会いして、たくさんお話しして、いろいろ教えていただいたっていうのは覚えているんですけど。
松岡:あのー、そういうことが聞きたいんですけど……。
(構成:高樹ミナ)
#3 「緊張する感覚がわからない」松岡修造も驚く、パラ射撃の新星・水田光夏の規格外のメンタル に続く
水田光夏(みずた・みか)
1997年8月27日、東京都生まれ。中学2年生の春、手足の神経が麻痺し筋力が低下する進行性難病のシャルコー・マリー・トゥース病を発症。19歳から本格的にパラ射撃に取り組み始め、17年の全日本選手権で初出場ながら2位入賞。19年世界選手権ではエアライフル男女混合10メートル伏射で24位になり、東京2020パラリンピック日本代表に内定した。19年から全日本選手権2連覇中。20年3月に桜美林大学を卒業。白寿生科学研究所所属。