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【手記】大学4年で早稲田大ラグビー部に入部したらどうなるのか? 「早稲田スポーツ」記者の異例の挑戦
posted2021/01/21 06:00
text by
千葉洋介Yosuke Chiba
photograph by
SportsPressJP/AFLO
私は今年、大学4年に進級すると同時に「1年生」となりました。2020年春、4年生となるタイミングで早稲田大学ラグビー蹴球部(以降、ラグビー部)の門を叩くことを決めたのです。なぜそのような決断に至ったのか――簡単にバックグラウンドを記そうと思います。
2017年3月、早稲田大学スポーツ科学部に合格。國學院久我山中学・高校で6年間ラグビーをしていたこともあり、ラグビー部に入部しようと考えていました。しかし、ハードな内容で有名だったセレクションともなる新人練習を甘く見ていた私は準備を怠っていました。すぐにケガをして、3日目にして自ら入部を断念。早々に「早稲田でラグビーをやる」という目標を投げてしまったのです。
大学で何をすればいいのかわからなくなっていた時に出会ったのが、大学の体育会各部を取材する「早稲田スポーツ新聞会」というサークルでした。初めて取材したのは春のラグビー早慶戦。この取材を機に、3年間にわたるラグビー取材生活が始まりました。そして時が流れるにつれ、どんどんラグビーの魅力に捕らえられていったのです。
国立競技場での早明戦、兄の言葉
再挑戦を決めた大きなきっかけとなったのは、20年1月11日の国立競技場での大学選手権決勝・早明戦でした。この試合は、3年生で任期を終える早稲田スポーツ新聞会での最後の取材でもありました。そこで早稲田は11大会ぶりの優勝という快挙を達成します。その一幕を見た私は、「自分もラグビー部に入っていたら、あの場で『荒ぶる』を歌っていたのだろうか」という感情に駆られ、気づくと涙を流していました。
その舞台には、高校で同じラグビー部で、同級生でもある横山太一(プロップ)も出場していました。実は19年の暮れ、会話の流れで横山の練習相手としてスクラムの基礎である1対1を組んだことがありました。早稲田ラグビー伝統のジャージ「赤黒」を背負う仲間と再び肩を合わせていたことが、優勝をより刺激的なものにしたのだと思います。
優勝を目の当たりにした私をさらに掻き立てたのは、兄・太一の言葉でした。大学選手権が終わって何週間か過ぎたころ、早大ラグビー部OBで、現在はトップリーグのリコーで活躍する兄に、上井草の練習場に呼ばれました。プロップとして第一線で活躍する兄が横山にスクラムについて教える機会があり、その相手役として来てほしいとのこと。すると、横山との練習後に兄がふと「真面目にやれば、スクラムだけなら久保(優・4年)にも勝てるかもよ」と声を掛けてくれたのです。その言葉で心に火がつきました。
もともと、早大ラグビー部に憧れたのも兄がきっかけ。高校3年時に観に行った早慶、早明戦……その眩しいほど輝く舞台に立つ兄に憧れたのです。
そんな兄からの言葉を、その場では聞き流しました。しかし、自分でも驚くほど、挑戦するという意欲が湧いてきたのです。ただ、大学4年を迎える時期に入部テストを受けることは容易ではありません。突拍子もない挑戦に不安や恐怖が募り、簡単に決断することはできませんでした。そこで背中を押してくれたのは、高校で同じラグビー部だった星谷俊輔でした。応援すると言われたことで、「悔いを残すくらいなら挑戦しよう」と決めました。
決断した翌日、すぐに兄にその旨を伝えました。
「中途半端にはやるなよ、きついからな」
その言葉は今も胸に刻まれています。