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31歳の“戦力外通告”、巨人・田原誠次「143試合中128試合で投げた男」…2年前、契約更改での“事件”とは
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2020/12/29 11:08
2011年ドラフト7位で巨人に入団。今年オフに戦力外通告を受けた田原誠次(写真は今年のオープン戦)
生まれてから18年間を南国宮崎で過ごした心優しき4人兄妹(3男1女)の次男坊。おしゃべりで、鈍臭くて、遊びに行くといつも傷を作って帰って来る。甲子園出場を果たした父親と兄に憧れ野球を始めるが、まずは内野手で打撃投手をやらされた。聖心ウルスラ学園高に進むも、コントロールに苦しみ、高校2年時にサイドスローへ転向。卒業後は三菱自動車倉敷オーシャンズに所属し、早朝6時半から午後3時半まで岡山営業所で総務としてみっちり働き野球の練習へ。会社での仕事は主にイスの発注、不足時には自分で制作もする。つまり同級生がプロや大学球界で活躍していた頃、この男は必死にイスを作っていたわけだ。
よくそれでドラフトで指名されたな……って実際のところ奇跡的な逆転指名だった。巨人の山下哲治スカウト部長が、11年10月の都市対抗野球で田原が投げる試合を偶然見たという。もちろん、その時点で巨人のリストに田原の名前はない。だが、サイドからの直球とスライダーのキレを目の当たりにし、「この投手は使える」と指名を進言。たった1度実戦を見ただけでドラフト指名に踏み切った。
「ピンチでマウンドに上がる時はゆっくり歩け」
その投げっぷりの良さには、原監督も「度胸の良さというか、きっぷの良さがでている」なんつって寿司屋の大将のようなコメントで賞賛。ピンチでテンパってとんでもない送球エラーをすることもあれば、一死満塁のハードな場面で登板しポーカーフェイスでゲッツーに斬って取る逞しさも併せ持つ。余裕なのか困ってるのか掴みどころのない、感情の読めない投手。スポーツ報知掲載の記事内で田原はそんなマウンド上の態度について、あるタネ明かしをしている。
社会人時代、チームメイトだった40歳のベテラン選手から、こう助言されたという。「ピンチでマウンドに上がる時はゆっくり歩け。そうした方が度胸が据わっているように見える」と。オレは甲子園出場経験もなければ、華々しい大学球界とも無縁だった。ドラフト7位。失うものなど何もない。だったら、ハッタリかまして開き直って投げてやる。
2年前、契約更改での“ある事件”
そんな叩き上げの非エリート右腕が、16年はチーム日本人投手最多にしてキャリアハイの64試合に投げ、4勝3敗18HP、防御率3.46という成績を残したのだ。