ぶら野球BACK NUMBER
31歳の“戦力外通告”、巨人・田原誠次「143試合中128試合で投げた男」…2年前、契約更改での“事件”とは
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2020/12/29 11:08
2011年ドラフト7位で巨人に入団。今年オフに戦力外通告を受けた田原誠次(写真は今年のオープン戦)
この年の田原はまるで往年の鹿取義隆のようだった。87年の鹿取は王巨人のクローザーとしてリーグ最多の63試合に登板。“鹿取大明神”と称される大活躍を見せた一方で、王監督のワンパターン継投は批難を浴び、酷使されるという意味の「鹿取(かと)られる」という造語も流行るほどだった。ある意味、首脳陣に「田原(たはら)れた」背番号37は、17年が27試合で防御率2.89、18年は29試合で防御率2.56と一定の成績を残すも、そのオフの契約更改の席で、ブルペン環境について怒りを爆発させる。
投げると思って準備をしていた場面では起用されず、ここはないと思っていたら突然投げろと言われる。毎年ブルペンの環境改善を訴えてきたが、一向に良くなる気配もない。若い投手たちも不安に思っている。いったいどうなっているんですか、と。田原は「保留することにより、少しでも多くの人に『僕らはこんなに酷い環境で野球をやっているんだよ』って知ってもらいたかった」と記者会見で語った。
温泉マニアで釣り好きの温和なキャラと思いきや、実際は肝っ玉が据わっていて自分の言いたいことは言う男。まるで『スラムダンク』で不良時代の三井寿の前に立ち、「お願いです帰って下さい」と口にしてぶん殴られた安田のような男気である。チームのためにマウンドへ上がり続けて、気が付けば30歳を過ぎていた。19年は25登板に終わり、ルーキー時代の背番号63に戻した20年は初の1軍登板なし。一方でイースタン・リーグ最多の35試合に投げるも防御率7.06と安定感を欠く……と思った矢先の戦力外通告だった。すでにマシソンも澤村拓一もチームを去り、中川皓太、高梨雄平、鍵谷陽平、大江竜聖らで形成するブルペンの世代交代は一気に進んだ感がある。
「全143試合中、128試合で投球練習を行い準備した」
プロ9年間で通算222登板。12月7日の合同トライアウトでは打者3人と対戦して被安打1、2奪三振だったが、いまだ31歳右腕のもとに他球団からのオファーはない。先のことは分からない。ただ、忘れないでいたいのは、田原がひたすら投げまくっていた時期はチームの過渡期であり、賭博事件で数人の中継ぎ投手が離脱した直後の混乱期でもあった。そういう状況でときに不可解な起用法にも心折れず、マウンドへ上がり続けたのが背番号37である。山口鉄也、マシソン、澤村といった勝ちパターンの救援陣とはまた別の意味を持つ、田原誠次の64試合。その年の契約更改での球団から田原への評価内容は鮮明に覚えている。
「全143試合中、128試合で投球練習を行い準備した」
凄い。いつ何時もマウンドに上がれるように、ほとんど毎日ブルペンで投げていたことになる。その経験があっての2年後の契約更改での訴えだった。原監督が戻ってきてリーグ連覇を達成した今も、由伸政権1年目の16年シーズンのことを振り返る度に、4年前に東京ドームでいつも見た、背番号37の飄々としたピッチングとレッチリの登場曲を思い出す。
どんなスター選手よりも格好良かった、田原誠次の勇姿を思い出すのだ。
See you baseball freak……