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坂本勇人「31歳で2000本安打」への道を拓いた“2009年の屈辱” 後輩にも教わり極めた右軸打法
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鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2020/11/08 18:00
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11月8日、2000本目の安打を放ち、ヤクルトの山田哲人から花束を受け取った巨人・坂本勇人
「色々と考えておかしくなっている面もある」
それが右方向への打球を意識した結果、ポイントが近くなったのはいいが、体が前に出るからどうしても上から叩くようになってしまう。
するとバットが外から遠回りするようになった。そうして本来のボールの内側をしっかり捕まえて回転で打つという持ち味が消え、球を捕まえるタイミングもすっかり狂っていってしまったのである。
10年は本塁打31本を放って85打点をマークしたものの、打率は2割8分まで落ちた。確率を上げていくために、更に右方向への意識を強くしたことで、11年には左肩が早く開いて、得意だったインコースのさばきもできなくなってしまっていた。
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「バッティングは難しいんですよ。色々と考えておかしくなっている面もあるし、もう右方向への意識を捨てた方がいいのかもしれないと思うこともあります」
あの東京ドームの通路で声を尖らせた数日後に、坂本からこんな言葉を聞いた。
結果的にこのシーズンは打率2割6分2厘で本塁打も16本と半減。まさにどん底を味わったのである。
右軸で回るバッティングへとモデルチェンジ
そこからどう道を切り開いて現在のバッティングにたどり着いたのかは、以前にこのコラムで書いた。
2015年の「プレミア12」の日本代表に選ばれたことで当時DeNAだった筒香嘉智外野手(現タンパベイ・レイズ)や西武だった秋山翔吾外野手(現シンシナティ・レッズ)ら逆方向への打撃を得意とする選手たち、それが後輩でもバッティングの考え方を聞きまくった。
そしてその考えをヒントに、現在の大きく足を上げてタイミングをとりながら右軸で回るバッティングへとモデルチェンジした。同時にその打撃を支えるために体幹トレーニングに本格的に取り組んだことも、攻守に大きな影響を与えているだろう。
これが坂本勇人が歩いてきた道だった。
プロ14年目、31歳での2000本安打達成は、紛れもなく超一流への道標となるはずである。ただ、その道が始まったのは2009年の日本シリーズだった。
そこで記録した打率1割9分という屈辱的な数字。そこから坂本勇人のバットマンとしての本当の道が、始まったのだと思う。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。
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