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坂本勇人「31歳で2000本安打」への道を拓いた“2009年の屈辱” 後輩にも教わり極めた右軸打法
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2020/11/08 18:00
11月8日、2000本目の安打を放ち、ヤクルトの山田哲人から花束を受け取った巨人・坂本勇人
“運”の強さもスターの証のように感じた
この年7月に一軍初昇格した坂本は、シーズンでの出場試合はわずかに4試合。3打数1安打というのが記録に残した数字だったが、監督には鮮烈な記憶を刻んでいる。
「体はまだ高校生だけど、スイングの速さ、バットの捌きは天才的。ああいうスケール感のある打者は、なかなか出てこない。将来的にはジャイアンツを背負うバッターになる素材だと思う」
それが原監督の見立てだった。
その見立て通りに2年目の2008年には正遊撃手だった二岡智宏内野手(現三軍監督)のケガにつけ込み、あっさりレギュラーを奪った。
その“運”の強さもスターの証のように感じたが、それを証明するように2年目の坂本はあっさり144試合にフル出場してしまった。
そして3年目の2009年にはレギュラーシーズンで打率3割をクリアする3割6厘を打って、本塁打も18本。キャリアは順調に右肩上がりの成長を見せていくように思えた。
主力の自覚を胸に刻んで臨んだ2009年の日本シリーズ
だが、つまずきのきっかけはリーグ制覇をして、主力選手の1人として臨んだ日本シリーズにあった。
前年の西武との日本シリーズでは全7戦に先発出場。第7戦では西口文也投手から本塁打を放ったものの、シリーズ通算の打撃成績は18打数3安打の打率.167だった。
それでもプロ2年目の初出場ということもあり、まだまだどこか“お客さん”扱いのシリーズで、その結果に周囲も物足りなさを感じるようなこともなかった。
しかし実績も積み重ね、結果も残した09年のシリーズでは、本人の意気込みが違った。1番を任され、計算された戦力として原監督の期待を背負い、主力の自覚を胸に刻み込んでの戦いだった。