草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
阪神の歴史を左右したかもしれない
「6時間26分」の日本一長い激闘。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2020/06/03 11:40
1992年9月11日阪神対ヤクルトは、6時間26分の激闘の末、引き分け再試合となった。写真は当時両軍を率いていた中村勝広(右)と野村克也。
「監督、オレ辞めるから」
中断37分。リクエストもリプレー検証もない時代だが、他の審判はそのことに気づいていた。判定が覆るのにそれほど時間はかからなかったが、難航したのは阪神・中村勝広監督の説得だった。
「一番近いところで見て、ホームランだとジャッジしたのはあなた(平光)だろう。それが覆るなんて認められん」
優勝争いも大詰め。しかも直接対決。勝てば首位。譲れない中村監督に、平光は「辞意」を伝えている。
「監督、オレ辞めるから。試合を再開してください」
後日、連盟から下された平光への処分は厳重注意と制裁金3万円。それ以上の処分を、その場で自らに科していた。場を納めるために口にしたのではなく、平光は本当にシーズン終了後に辞職している。
筆者の友人の阪神ファンは、今でも「あの誤審が」と怒るが、阪神は1ミリも損はしていない。むしろ誤審のせいで勝ちそうになったのであって、怒っていいのはヤクルトファンである。後味という意味でもエンタイトル二塁打への修正は正しい。二、三塁での再開。新庄剛志は敬遠で、満塁。しかし久慈照嘉が中飛に倒れ、日付をまたぐ死闘へとつながっていった。
もし、サヨナラ2ランで勝っていたら。
タイガースの歴史を左右したと考えてしまうのは、誤審が理由ではない。
なぜあの打球で試合が終わらなかったのか。その可能性は1パーセント未満、奇跡に近いとしか思えない。二死でフルカウント。走者のジェームス・パチョレックは岡林のモーションと同時にスタートを切っていた。もう30センチ打球が飛んでいたら、ホームランだった。5センチ飛ぶか、いや5センチ飛ばなくてもフェンス直撃打になり、グラウンド内に跳ね返っていたはずだ。2ランでなくても良かったのだ。エンタイトルでさえなければ……。
勝ちきれなかった阪神だが、勢いは削がれずに数日後に首位には立っている。優勝を逃したのは9月下旬からの長期ロードに惨敗したことが要因だが、ここでサヨナラ2ランという劇的な形でヤクルトをたたいていたら、その後の展開も変わっていた可能性は大いにある。