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代表キャップ98の鉄人・大野均が語る
3度のW杯の経験とジャパンの誇り。 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byWataru Sato

posted2019/09/17 11:30

代表キャップ98の鉄人・大野均が語る3度のW杯の経験とジャパンの誇り。<Number Web> photograph by Wataru Sato

「W杯を見た子供たちがラグビーって面白い、ラグビー選手ってカッコいいと感じてラグビーを始めてくれたら」と普及への想いも強い。

あの、伝説の勝利の只中で。

 南アフリカをも恐れないマインドセットができていたのは、大野だけではない。序盤から拮抗した展開のなかで、日本の選手たちは手応えを膨らませていくのだ。

「前半からタックルにしてもアタックにしても、自分たちのやりたいことがハマっているな、という感覚はありました。すごくミスの少ない試合で、チーム全体が集中してプレーできていた。逆に南アフリカは、日本の低いタックルに少しずつ戸惑っているというか、イライラしていると感じていました」

 29-32で迎えた後半終了間際、日本は敵陣でペナルティを得る。キックでゴールを狙える距離であり、ジョーンズHCは五郎丸歩に狙わせることを指示した。

 だが、ピッチで戦う選手たちはスクラムを選択する。

「僕自身は交代していたのですが、キャプテンのリーチ(マイケル)がスクラムを選択したときには『ありがとう』っていう気持ちでした。それまでスクラムを組んでいたFWのひとりとして、押せるという思いがあったので」

 スクラムで押し通すことはできなかったものの、日本はボールを展開して南アフリカを揺さぶっていく。相手はシンビンでひとり人数が少ない。チームが磨いてきた速いテンポのアタックをすれば、どこかで数的優位を生み出せる。

 そして、カーン・ヘスケスがインゴールへ飛び込んだ。

 日本34、南アフリカ32──。

 五郎丸のコンバージョンが残っていたが、これ以上の得点は必要ない。
ラグビーの枠を超えたスポーツ史に残るアップセットが、2015年9月19日に生まれたのだった。

ジェイミー体制で、徐々に外れることが増え……。

 ジェイミー・ジョセフのもとで動き出したチームにも、大野は招集されている。だが、'19年のW杯が近づくにつれて、彼の名前は日本代表のリストから消えていった。

「もちろん寂しさはありました。'16年11月にミレニアムスタジアムでウェールズと接戦をしている試合をテレビで観たときは、自分がそこにいないことに悔しさがありました」

 東芝ブレイブルーパスで現役を続けているのに、桜のジャージを着ることができていない。悔しくて、歯がゆくて、もどかしくて、日本代表の試合をテレビで観られないこともあった。

【次ページ】 「ジャパンでラグビーができているうちが華だよ」

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