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代表キャップ98の鉄人・大野均が語る
3度のW杯の経験とジャパンの誇り。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byWataru Sato
posted2019/09/17 11:30
「W杯を見た子供たちがラグビーって面白い、ラグビー選手ってカッコいいと感じてラグビーを始めてくれたら」と普及への想いも強い。
「'15年にはいないでしょう」と言われ……。
'11年のW杯終了とともに、エディー・ジョーンズが日本代表のヘッドコーチに就任した。1978年5月生まれの大野は、この時点で33歳である。「自分はまだまだやれる自信はあった」が、「4年後を考えるともう選ばれないかもしれない」とも考えた。
ジョーンズHCが采配をふるうようになっても、大野は招集を受けた。
胸のなかにじんわりと喜びが拡がっていたところで、ある記事を見つける。今後の日本代表を展望するなかで、「今回はベテランとして大野を呼んだけれど、'15年には日本代表にいないでしょう」と、ジョーンズHCが語っていた。
反抗心と、闘志と、野心と、情熱が、大野のなかで同時に立ち上がった。勢いを増して全身を駆け巡っていく。
「年齢も年齢ですから、そうやって考えられるのはもちろん理解できる。エディーさんが監督ではなくても、いつかは外される日が来る。それなら、一日でも長く代表に居てやろう、代表から外れる日を一日でも遅らせてやろう、と思ったんです」
すでに実績十分のベテランは、先発でもリザーブでもチームにポジティブな影響をもたらそうと心を砕いた。薄紙を1枚ずつ積み重ねていくように、自分の持っているものをトレーニングから出し切っていく。
オーストラリア出身のHCから別れを告げられることはなく、歴代最多キャップを更新しながら、大野は'15年のW杯に辿り着いたのだった。
南アフリカ戦、玉砕覚悟とは違う心境。
「南アフリカ戦の試合前にウォーミングアップへ出ていくと、自分が知るW杯独特の緊張感やピリピリ感があった。ああ、またこの空気のなかに帰ってきたんだ、と。それがすごく嬉しくて、ニヤッとしながら身体を温めていました。しかも相手が南アフリカという、失うものは何もない相手だったので」
南アフリカと対戦するのは、日本代表にとっても、大野にとっても、'15年のW杯のプール戦初戦が初めてだった。優勝候補にもあげられる相手との一戦は文字どおり「失うもののない」立場だが、玉砕覚悟で立ち向かっていくわけではないのである。
「世界一と言っていいぐらいの練習をやってきて、これで負けたら日本が世界で勝てる日は来ないんじゃないか、という漠然とした不安みたいなものはありました。W杯の初戦のスターティングメンバーに入るのが初めてだったので、責任感や重圧を覚えて眠れなかった日もあります。
ただ、ピッチに立った瞬間はこの試合のために準備してきたものをすべてぶつけてやろう、という気持ちになっていました」