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自衛隊最強の陸上部、滝ヶ原。
富士山の歴史を継ぐ「軍武両道」。

posted2019/07/23 08:00

 
自衛隊最強の陸上部、滝ヶ原。富士山の歴史を継ぐ「軍武両道」。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

迷彩服着用でジープに乗り込み、練習場所の富士山御殿場登山口「太郎坊」に向かう滝ケ原陸上部のメンバー。

text by

千葉弓子

千葉弓子Yumiko Chiba

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

 タキガハラ。

 尊敬を込めてそう呼ばれる、「自衛隊最強の陸上部」がある。

 その陸上部があるのは、静岡県御殿場市の「陸上自衛隊 滝ヶ原駐屯地」。標高700mの場所にあり、富士山の御殿場登山口にもほど近い。面積は東京ドーム10個分、主に普通科教導連隊などが在籍する駐屯地だ。

 陸上自衛隊の「普通科」とは、<地上戦闘の骨幹部隊として、機動力、火力、近接戦闘能力を有し、作戦戦闘に重要な役割>を果たす部隊のこと(陸上自衛隊HPより)。滝ヶ原に在籍する教導連隊は、その普通科の幹部を教育するとともに、防衛任務や災害派遣をおこなっている部隊だ。

 この駐屯地において、陸上部は独特の存在感を放っている。部の名前を広く知らしめているのは地元・御殿場市で毎年8月の第1日曜日に開催される「富士登山駅伝競走」。標高差3258mを駆け抜ける、日本でもっとも過酷な駅伝だ。

火山灰で足首まで埋もれる急斜面。

 御殿場口太郎坊から山頂まで登る「富士登山競走」が始まったのは1913年(大正2年)のこと(ややこしいが、現在、山梨県側の富士吉田市から富士山頂まで行われている同名のレースとは異なる)。発起人は、あの「いだてん」、金栗四三だ。

 その後、レースは御殿場駅と富士山頂上を「往復」する形式に変更されたが、35kmという長い距離と猛暑によって、下山途中の選手が倒れる事故が起きてしまう。これをきっかけに1923年からは1チーム5人の駅伝方式が採用され、現在の「富士登山駅伝競走」の原型が生まれた。

 戦中戦後の一時期は中断していたが、1976年(昭和51年)に復活。1990年からは「秩父宮杯」が御下賜され、名称も「秩父宮記念 富士登山駅伝競走大会」となる。参加チームの増加により、2005年からは「一般の部」と「自衛隊の部」に分けられた。

 現在は、御殿場駅をスタートして富士山山頂で折り返し、麓の陸上競技場でフィニッシュするコースを、11区間に分けて6名で走る。山頂を折り返す6区の選手以外は、登ったのと同じコースを同じ選手が下ることになる。

 とくに盛り上がりを見せるのは、登坂力やテクニックで大きな差がつく五合目太郎坊から上の山岳パートだ。なかでも5区(復路は7区)は、火山灰で足首まで埋もれてしまう急斜面の“大砂走り”を登り下りすることから、エース区間と位置づけられている。

 この富士登山駅伝競走において、滝ヶ原陸上部は総合で4連覇中、最多25回の優勝を記録している。自衛隊の部には全国から足自慢の30チームほどが出場しているが、滝ヶ原は抜群の強さを誇っており、一般の部を含めた総合でもダントツの実績だ。

【次ページ】 三島由紀夫が壁に記した文字も。

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