Number ExBACK NUMBER
自衛隊に究極のストイックランナー。
本業は装甲戦闘車の指揮と運転。
posted2019/07/23 08:05
text by
千葉弓子Yumiko Chiba
photograph by
Kiichi Matsumoto
富士登山駅伝の部内予選会の翌日とあって、この日の練習メニューは軽めだという。だが、「自衛隊最強」といわれる滝ヶ原駐屯地の陸上部員たちがオリーブ色の大型ジープに乗り込んで向かったのは、富士山五合目の太郎坊だった。標高1500mの「高地」だ。
太郎坊に到着すると、陸上部のエース・宮原徹は火山灰の土の上を駈け登っていく。ジョグペースとはいえ、足取りはなんとも軽やかで、その背中はあっという間に小さくなった。
宮原徹は、今年37歳になる。ランナーとしてはベテランの域に差し掛かったと言ってもいいだろう。だが、「バーティカルの帝王」という異名を持つ登りのスペシャリストは、今も自衛隊員の、そしてトレイルランナーたちの憧れである。
高校の1学年上には藤原新がいた。
宮原が滝ヶ原駐屯地に配属されたのは2005年のこと。出身は長崎県。駅伝競技の名門、長崎県の諫早高校で陸上に取り組み、当時のベストタイムは5000mが14分36秒というから箱根駅伝を目指してもいいレベルだ。
1学年上には、ロンドン五輪のマラソン代表で、現在、スズキ浜松アスリートクラブのヘッドコーチを務めている藤原新がいたという。卒業時には大学陸上部からの誘いもあったが、すべて断ってしまう。
「もう陸上はいいかなと思っていたので、自衛官の叔父の勧めもあり、自衛隊に入隊しました。でも入った後に体育学校の存在を知り、もう一回走ろうという意欲がわいてきて、朝霞にある自衛隊体育学校に移ったんです」
しかし、全国から精鋭が集う体育学校の練習はかなり厳しく、宮原は何度も怪我に泣かされてしまう。思うように走れない状態が続き、考えたのは体育学校を辞めて長崎の部隊に戻るということだった。
そのとき思わぬ誘いを受ける。当時の滝ヶ原陸上部の監督から、「長崎に帰るつもりなら、うちの陸上部に入らないか」と声をかけられたのだ。宮原は少し悩んだが、馴染みのない御殿場の地に赴くことを決めた。
「あのとき、滝ヶ原に来ることを決めてよかったと思っています。結果として、富士山の近くに来ることになり、トレイルランニングにも出合えたわけですから」