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自衛隊最強の陸上部、滝ヶ原。
富士山の歴史を継ぐ「軍武両道」。
text by
千葉弓子Yumiko Chiba
photograph byKiichi Matsumoto
posted2019/07/23 08:00
迷彩服着用でジープに乗り込み、練習場所の富士山御殿場登山口「太郎坊」に向かう滝ケ原陸上部のメンバー。
三島由紀夫が壁に記した文字も。
6月、富士登山駅伝のための「特別練成」を行っているという陸上部を訪ねた。
滝ヶ原駐屯地は旧陸軍の跡地に昭和35年に設置され、昭和49年に分屯地から駐屯地に昇格した。
厳重な警備がなされている駐屯地正門で、やや緊張しながら構内へ入る手続きを済ますと、陸上部監督の太田康幸さんと広報班長の森實一洋さんが笑顔で出迎えてくれた。
朝8時15分、国旗が掲揚され、ラッパの合図とともに課業が開始される。独身の隊員は敷地内にある寮から所属する部隊へと通い、既婚者は敷地外の自宅から通勤する。課業開始の合図は、これらすべての隊員が起立して迎える。
まずは滝ヶ原の歴史を学ぶべく資料館を案内していただいた。建物は旧陸軍時代に建てられたものをそのまま使用しているという。富士登山駅伝の資料や陸上部が手にした数々の優勝杯、歴代の制服や装備などが展示されている。
「かつて滝ヶ原には、三島由紀夫さんが合宿に来ていた時期がありました。駐屯地内には夜になるとお酒が飲めるクラブがあるのですが、そこでお酒を召し上がった三島さんが、酔った勢いで壁に書いた『限りある身の力ためさん』という文字も保管されています」(森實広報班長)
本部建物にある司令室には、富士登山駅伝の賜杯が飾られていた。通常、優勝チームは皇室から賜った賜杯を銀行の貸金庫などに預けるそうだが、自衛隊では自分たちで管理することが許されているという。
日々のトレーニングは富士山。
陸上競技部の部室となっている平屋の建物は、資料館と同じく旧陸軍時代のもので、銃剣道、格闘技の部署とともに利用している。奥には21名の部員たちが休憩する部室があり、二段ベッドが設置されている。太田監督は「とても汚くて写真は恥ずかしいです」というが、選手1人ひとりのシューズやウェアが整然と並べられていた。
日頃、部員たちはそれぞれ所属する隊での活動を優先するが、富士登山駅伝の練成の指令が下ると、決められた期日内(およそ4カ月ほど)は陸上の練習を優先する。
「陸上競技部のことを自衛隊では、持続走練成隊、持続走訓練隊と呼びます。私たち陸上部にとって、富士登山駅伝での優勝は司令からの至上命令になるわけです。『富士登山駅伝での勝利を期す』という形で、指令が下されます」(太田監督)
目標ではなく、指令。さらに太田監督は続ける。
「我々の地元で行われるレースでもありますし、絶対に負けることはできません」
太田監督の表情は柔らかいが、目が笑っていない。それだけ大きな重圧がかかるのだろう。滝ヶ原は大会復活後から毎年出場しており、太田監督もかつては選手として活躍したという。
「監督といっても、私が何か指示することはほとんどないんですよ。選手が所属する科や合宿先(他の自衛隊施設など)との調整が主な仕事で、練習メニューはコーチが決めています。うちは選手のレベルが高いですから、自主性に任せるところが大きいんです」