“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
尚志FW染野唯月は凄みを増した。
衝撃のハットにも「もう驚かない」。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/04/15 07:00
高円宮杯プレミアリーグEASTの開幕戦でいきなりハットトリックを決めた尚志・染野唯月。格の違いを見せつけた。
自分でも驚きの評価。
「これは予想外の出来事でしたね。選手権があったからこそ、プロの話もあったと思う。あの活躍がなかったら、こんなにプロの誘いもなかったと思います」
この言葉通り、染野を囲む環境は激変した。覚醒を遂げたストライカー争奪戦が一気に加速し、強豪Jクラブが獲得に乗り出した。以前から注目を集めていた桐光学園FW西川潤が早々にセレッソ大阪内定を決めたことで、さらに熱を帯びた。
先月には鹿島アントラーズの練習に参加するなど、その動向は大きな注目を集めている。
「正直、自分がここまで評価されているとは思わなかったですし、まだ不思議に思う部分もあります」
中学時代は無名、昇格を待たずに進学。
そもそも彼は中学生時代、無名の存在。鹿島の下部組織のひとつである鹿島アントラーズつくばジュニアユースに所属していた。
「2年生の時は、1つ上の世代で出るということが本当に大変で、出場機会はなかった。3年になってもボランチとして少し試合に出た程度。ユース昇格の可能性もゼロではなかったのですが、合否が出される前に高校サッカーに行くことに決めました」
当時の染野は厳しい現実を突きつけられていた。
「(ユース昇格は)合格か不合格かの間でした。自分の中では、落ちていたと思っています」
他の強豪校からの話もあったが、染野は新天地として福島県の尚志高校を選ぶ。
「尚志は環境も良かったし、自分に合ったサッカーだと思った。それに選手権に出たかったのが大きかった。良いサッカーができて、かつ選手権に出れるところを考えた時に、ここが一番でした」
前述したように、尚志では1年生の頃から「おもしろい選手がきた」という噂が立っていた。キープ力とパスセンスを持ったボランチだった彼を、尚志の仲村浩二監督は「彼の攻撃センスやフィジカル、スピードは最前線の方がいい」とFWにコンバート。実際に当時の染野を目にしたときに、スケールの大きさを感じた。
しかし、まだボールを失ったり、当たり負けをするひ弱さもあり、出場していた試合のカテゴリーがプリンスリーグ東北だったことから、プロのスカウトから絶大な評価をもらうまでには至らなかった。