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根尾昂の30本、PL復活、中日監督。
殿堂入りの立浪和義が描く3つの夢。 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2019/01/17 11:30

根尾昂の30本、PL復活、中日監督。殿堂入りの立浪和義が描く3つの夢。<Number Web> photograph by Kyodo News

根尾とは30歳以上も年齢差があるが、大阪の名門校で甲子園を春夏連覇し、ドラフト1位で入団という共通点が。

ドジャータウンでのひと芝居。

 立浪は使いたいが、宇野のプライドは大切にしなければならない。当時の中日はベロビーチのドジャータウンで春季キャンプを行っていた。

 そこで一計を案じた星野監督は、名将のラソーダ監督にひと芝居うってくれるよう依頼した……。実際にラソーダ監督が宇野の動きをそう思っていたかは定かではないが、仮に本当だとしても「これは使える!」と星野監督なら考えたはずだ。

 肝心なのは、星野監督が遊撃手で使うと決めたらあらゆる手段を使って推進するリーダーとしての実行力の持ち主だったということ。

 そして立浪氏がその期待に違わぬ野球人生を歩んだということだ。この見立てが間違っていた場合は、組織はあっけなく崩壊へと突き進む。

PLと根尾への思い。

 野球殿堂入りを決めたとき、立浪氏は恩師への感謝以外にも熱い言葉を残している。休部、いや事実上の廃部となっているPL学園野球部への思い。鳴り物入りで中日に入団した根尾昂への期待。そして自身の今後の夢だ。

「PLの野球部は、先輩の皆さんががんばって全国にPLの名を知れ渡るようにしてくれた名門です。野球部復活はOBとしての希望ですし、自分にできることがあれば協力していきたい」

 かつてはPL学園に集っていた選りすぐりの才能は、近年では大阪桐蔭に集中している。盛者必衰の理といえばそれまでだが、昭和を知る野球ファンもやはり「永遠の学園」への思いは、ノスタルジーに近いものがあるのかもしれない。

 その大阪桐蔭から入ってきたのが根尾。2000年生まれ、岐阜県育ちの根尾にとって、立浪氏は「代打の切り札として活躍された方」である。

 もちろん聡明な18歳は、それ以前の立浪氏のキャリアも頭には入っている。つまり、自分と重なる点が多いこともわかっているのだが、立浪氏はこう話している。

「いきなりレギュラーとして期待されるのは少しかわいそうかなという気がします。自分のときは、あんなに騒がれませんでしたから。自分より長打が打てる選手。ショートで30本塁打打てる選手だと思っています」

【次ページ】 就任要請まで「自分を磨く」。

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