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根尾昂の30本、PL復活、中日監督。
殿堂入りの立浪和義が描く3つの夢。
posted2019/01/17 11:30
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
立浪和義氏の野球殿堂入りが決定し、1月15日に通知式が行われた。
通算2480安打は歴代8位、487二塁打は同1位と実績は申し分ない。立浪氏はファンの間では「3代目ミスタードラゴンズ」として広く認知されており、初代の西沢道夫、2代目の高木守道両氏はもちろん、通算安打数で立浪氏より上位の7人はすでに殿堂入りしていることもあり、今回は確実視されていた。
正式名称「野球殿堂博物館」は、東京ドームに併設されており、ホームページではこう定義されている。
『野球殿堂は、日本の野球の発展に大きな貢献した方々の功績を永久に讃え、顕彰するために1959年に創設されました。野球発祥の地である米国では、1939年に野球殿堂が創設され、日本の殿堂の20年先輩になります。「殿堂」とは英語では、“Hall of Fame”といわれ、直訳すると「名誉の殿堂」という意味になります。殿堂入りされた方々の表彰レリーフ(ブロンズ製胸像額)を、野球殿堂博物館内の殿堂ホールに掲額し、永久にその栄誉を讃えます。野球殿堂入りには競技者表彰と特別表彰があります』
恩師・中村順司氏からの言葉。
競技者表彰はさらに「プレーヤー表彰」と「エキスパート表彰」に分かれ、立浪氏が選出された「プレーヤー表彰」は、現役を引退後5年以上経過したプロ野球選手が選出対象となる(15年間)。
選出方法は野球報道に関して15年以上の経験を持つ委員(約300人)が投票し、75%以上の得票が必要となる。今回の「プレーヤー表彰」は18人が候補者で、立浪氏の得票率は77.4%だった。
立浪氏はPL学園からドラフト1位で指名され、1988年に中日に入団した。少し意外なことに、同校出身者としては殿堂入り第1号となった。通知式でのゲストスピーカーは恩師でもある中村順司氏だった。
「立浪たちの学年は、清原(和博)や桑田(真澄)たちが全国制覇したときの1年生。先輩が努力している姿を見ていたんです。立浪は体は小さいけれど、負けん気が強い。自分(の監督生活)の中でも誇れる学年なんです」