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前人未到の1000試合登板。不世出の
鉄腕・岩瀬仁紀を生んだ奇跡の数々。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2018/10/01 14:30
9月28日の阪神戦(ナゴヤドーム)、1点リードの9回にマウンドへ。前人未到の1000試合登板を、407個目のセーブで飾った。
初動負荷理論が現役生活を支えた。
20年で1000試合。
単純に「1年50試合」ペースを積み重ねてきたことになる。
もっとも岩瀬は2015年に左肘の不調などにより登板ゼロ、翌2016年も15試合にとどまっている。
すでに40歳を超えており、ここで一度は引退を申し出たと伝えられるが、最終的に翻意したからこそ米田哲也の最多登板記録を塗り替え、岩瀬の無双伝説は完結した。
20年の現役生活は能力や才能がなければ成り立たないが、強さが伴わなければ1000試合には届かない。絶対的に故障に強い肉体は、両親から授かったものだが後天的には鳥取市のトレーニング研究施設「ワールドウィング」で磨かれた。プロ入り前に出会った初動負荷理論によるトレーニングは、関節の可動域を広げ、故障を未然に防止した。
「初めて行ったときから体にすごくなじんだんですよ。それに年齢を重ねるにつれて効果を実感することができました」
「数字には本当に興味がなくって」
統計があるわけではないし、そもそも比較は難しいがプロ野球で最も短命なポジションはどこかと問われれば、多くのファンは「リリーフ投手」と答えるのではないだろうか。
それは実際の試合で投げる数よりもはるかに多い準備を、ブルペンで求められるからだろう。
だからこそ岩瀬の20年、1000試合という数字は驚きに値する。
今後、トレーニング理論がさらに進化し、選手寿命が延びたとしても岩瀬の足跡をたどるのは相当に難しいはずだ。
「数字には本当に興味がなくって。終わったときに振り返ればいい。ずっとそう考えていました」
数々の金字塔や積み上げてきた数字には無頓着そのものだった。
歩いてきた道、登った山には興味がなく、かといって遥か彼方を見据えているわけでもない。ただ一歩、一歩。派手なオーバーアクションやガッツポーズひとつするわけでなく、任された試合を勝ったまま終わらせる。
ちょっとした体調不良すら許されぬポジションで、何事もないかのように実績を積んできた男の生き方だった。