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前人未到の1000試合登板。不世出の
鉄腕・岩瀬仁紀を生んだ奇跡の数々。
posted2018/10/01 14:30
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
愛知県で生まれ、ごく普通の公立高校である西尾東で野球を続け、愛知大学からNTT東海に進み、中日ドラゴンズに入団する。王道だとは言わないが、愛知県の野球少年にとって幸せを絵に描いたような経歴である。
岩瀬仁紀。
現役最年長選手が、通算1000試合登板という前人未踏の大記録を自らの花道とし、現役引退を決めた。
「酒が飲めない体質」だからリリーフに!?
大学時代は投打二刀流だった。愛知大学リーグの安打記録にあと1本足りない124安打。
岩瀬によると「達成できていたら、その後の野球人生が変わっていたと思う。野手で勝負しよう。そう考えたはずですから。あの1本差で打者への未練が断ち切れたんです」。4年生の秋にナゴヤ球場のスピードボールコンテストに参加。136キロを計測し、中日ベンチが「あの若者は何者なんだ」とざわついたのは有名な話だ。
バットを置き、投手に専念した社会人時代に才能が一気に開花した。当時は2位まで逆指名枠を使えたドラフト制度。1位は福留孝介(日本生命~中日)に決めており、「ぜひ1位で」という他球団の誘いを断っての中日入りだった。
不世出のリリーフ投手が生まれたきっかけは「酒が飲めない体質」だと知られたから。
当時の山田久志投手コーチは、自身が酒豪でもある。「先発だと飲んでも次の日は試合で投げないからいいけど、リリーフだと次の日も投げるから酒が残っていると困るだろ?」と抜擢のいきさつを話している。
もしあと1本安打を打っていれば……。
もしウワバミだったなら…。
わずかなイフをすり抜けて、岩瀬は毎シーズン、当たり前のようにフル回転を続けた。