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50年前、第50回夏の甲子園の記憶。
『巨人の星』が開始、大阪では……。
text by
増田晶文Masafumi Masuda
photograph byHideki Sugiyama
posted2018/08/28 08:00
夏の甲子園100回、時間の流れに埋もれさせてはいけない豊かな歴史がその中には詰まっている。
1968年は『巨人の星』放送開始の年。
50年前の8月22日、木曜――この日も大阪は暑かった。
興國、静商とも勝てば初優勝だ。
甲子園の熱戦はNHKと朝日放送がテレビ中継する。同じ試合を2局も同時に流しやがって。おまけに大阪は東京より1局少ない。テレビっ子だった私は大いに不満だったのだが、この日は黙ってテレビの前に座った。
しかも、私のみならずガキども、いやお子様たちにとっても、甲子園大会は思い入れが強かったはず。春から伝説のスポ根アニメ『巨人の星』が放映されていたからだ。
♪重いコンダラ、試練の道を♪
68年の夏休み、アニメでは星飛雄馬が青雲高校野球部で甲子園出場を目指していた。
ちびっこは虚構と現実をごちゃまぜにして、自分が甲子園のマウンドにあがったり、ホームランをかっ飛ばすシーンをオーバーラップさせていた。
「再来年は万国博覧会、景気ようなんで」
本家の決勝戦は、予想通り胸苦しくなるほどの投手戦となった。命運を分けたのは5回裏だ。興國の丸山が内野安打で出塁。次のピッチャーゴロの処理を新浦が誤り、丸山は2塁にすべりこむ。打順がトップにかえってセンターへヒット! 興國が1点を先取した。
この時、工場の旋盤やフライスが止まり、町中にウオーッと、どよめきがこだましたのを鮮明に覚えている。クソうるさいクマゼミまで一瞬なきやんだ(と思う)。
果たして――興國高校は虎の子の1点を守り抜き、大阪に5年ぶりの深紅の大優勝旗をもたらせてくれた。
「ほれみい。興國が優勝したやろ」
「おのれは東京代表に張っとったやないか」
この夜、レストランは常連客による祝勝会とあいなった。
「死のロードで甲子園を留守にしてた阪神、知らん間に首位の巨人に詰め寄っとる」
「プロ野球も大阪が優勝じゃい」
「再来年は万国博覧会、景気ようなんで」
同じような光景が、大阪のあちこちでみられたことだろう。
静岡商の新浦は同年9月、電撃的に高校を中退しプロ入りする。長嶋巨人のエースから韓国野球へ。日本球界に復帰し大洋、ダイエー、ヤクルトと渡り歩く波乱の野球人生を送った。昨年まで母校のコーチを務めていた。
興國高の丸山は早大に進んだが、プロ野球選手にはならなかった。今は運送会社の社長さんらしい。