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新大関に昇進した栃ノ心。
兄弟子が語る「最高点の口上」秘話。
posted2018/06/02 09:00
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Kyodo News
2006年3月、角界の門を叩いた18歳のレヴァニ・ゴルガゼ――栃ノ心は、約7800キロ離れたグルジア(現ジョージア)から、数枚のプリントを手にし、来日した。
そのプリント紙には、母国ジョージア語の単語を日本語に訳したものが、ただ羅列されているだけだった。当時、入門13年目の幕下力士だった棟方弘光氏は、兄弟子として栃ノ心の「世話係」を命じられる。
「自分なりに言葉をインターネットで調べてわざわざ持って来たものだと思いますが、なんだか実生活に必要じゃない、使えない言葉ばかりだったのを覚えているんですよ」
そう棟方氏は笑う。師匠夫人が大型書店を巡り、ジョージア語の辞書を探すのだが、当時は容易に見つからず。ロシア語圏内の国であることから、ロシア語の辞書を購入してみたものの、栃ノ心自身のロシア語能力はカタコト程度なのがわかる。
そこで、通訳としてジョージア大使館の職員を頼り、まずは日常生活に必要な言葉を教えてもらうこととなった。栃ノ心、部屋の力士たちの双方が、ジョージア語のスペル表記、発音の仕方、日本語に置き換えての意味を理解するべく、奮闘する。
言葉の壁。意思の疎通の難しさ。
「それこそ“おはようございます”“ありがとうございます”からですよね。僕だけでなく、周りも一生懸命でした。同期の力士が数人いたけれど、彼らは新弟子として常に一緒に働く。掃除をしたり、ちゃんこ番をしたり、ゼスチャーを交えながら教えて、きっと一番苦労したんじゃないかと思いますよ」
毎日の生活を共にする相撲部屋ならではで、その後の栃ノ心は、言葉の上達がはやかったというが、「今、なんと言ったんデスカ?」とひとつひとつ聞き返し、スペルと意味を書き留める日々だった。
青森県弘前市出身の棟方氏だからこそ、言葉の重要性を身に染みて感じてもいた。
「こっちは津軽弁だし、同じ日本人なのに『何を言っているのかわからない』と言われる。気後れして、まともに会話ができないんです。でも、僕はたまたま同郷の兄弟子がいたので支え合えたけれど、栃ノ心は――もっともっとつらかっただろうと思うんです」