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新大関に昇進した栃ノ心。
兄弟子が語る「最高点の口上」秘話。
 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byKyodo News

posted2018/06/02 09:00

新大関に昇進した栃ノ心。兄弟子が語る「最高点の口上」秘話。<Number Web> photograph by Kyodo News

大関昇進の伝達を受け、母国ジョージアの国旗を背に笑顔の栃ノ心。

「レヴァニはなんで泣いているんだ?」

 兄弟子だった棟方氏には、今でも記憶に残る光景がある。それは入門後間もない栃ノ心が新弟子検査を受検する頃のこと。大部屋の隅で、何時間ものあいだ、大きな体を縮こまらせ、ひとりで泣いていたのだという。

「レヴァニはなんで泣いているんだろう?」「何かあったのかな?」そう周囲は心配するものの、この時はまだ、誰も掛ける言葉を持っていなかった。もどかしく思いながら、見守ることしかできない。しかし、栃ノ心のその全身から「近づかないでくれ。そっとしておいてくれ」との雰囲気だけは感じ取れた。

「後でわかったことなんですが、栃ノ心は、忙しいお母さんに代わって祖父母に育てられたようで、おばあちゃん子だったらしいんです。そのおばあちゃんが亡くなったとのことだったんですよね……」

同胞・臥牙丸と会話した思い出の公園。

 意思の疎通もままならないストレスを感じながら、栃ノ心の唯一の救いは、同胞の臥牙丸が、すでに木瀬部屋に入門していたことだった。ちなみに臥牙丸が入門した2005年当時、日本に在留するジョージア人は、たった3人。そのうちのふたりは'01年に来日し、ジョージア初の力士となった黒海と、その弟だった。

 幸いなことに、臥牙丸の所属する木瀬部屋と春日野部屋は近く、その中間地点にある小さな公園で落ち合い、思い切り母国語で語り合った。ストレスを発散し、励まし合い、持ちうる情報を互いに交換して、日本を――相撲界を学んだ。

「若い頃は100円しか持ってない時もあってね。これでアイスを買うか、ジュースを買うか悩んで……。お互いに時間を見つけて、門限ギリギリの時間まで話していましたよ」

 そう懐かしむ栃ノ心は、現在、この思い出の公園が一望できるマンションに住んでいる。

 '08年、栃ノ心の新十両昇進を見届ける形で引退し、故郷の青森に帰った棟方氏は、以来10年ぶりに、かつての弟弟子と会話した。それは栃ノ心が初優勝した今年一月場所後のこと。春日野部屋に電話を入れると、近くにいた栃ノ心が代わって電話口に出たのだという。

【次ページ】 ふたりの10年ぶりの会話は?

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