JリーグPRESSBACK NUMBER
新潟・田中達也が手袋を外さぬ理由。
35歳ドリブラー、情熱と逆襲の予感。
posted2018/05/05 17:00
text by
大中祐二Yuji Onaka
photograph by
J.LEAGUE
4分目安と示された後半のアディショナルタイムも、すでに3分台に突入していた。敵陣ペナルティーエリアの左脇。ゴールライン際まで転がるボールをめぐって競争するのは、かつて浦和レッズで共に戦った坪井慶介だ。
わずかに先に坪井がボールに触ったが、その懐に潜り込んでマイボールに変えると、背後でサポートする高木善朗にパス。高木のクロスボールに反応した矢野貴章がペナルティーエリア内で倒され、谷本涼主審が笛を吹く――。
4月28日、維新みらいふスタジアムでのレノファ山口FCとの試合は、田中達也にとって18年のプロキャリアで、自分の原点に最も近い場所でのプレーとなった。何せ、実家はスタジアムから徒歩圏内。試合には家族も応援に駆け付けた。
「山口にお帰りなさい、田中達也選手」
「親の前でプレーを見せられたのは、やっぱり親孝行だったと思います。今、親が一番に思っているのは、新潟が1年でJ1に上がることなんですけどね。それでも良かった。僕は気づかなかったけれど、試合前の選手紹介では、“山口にお帰りなさい、田中達也選手”と言ってもらえたようだし」
もっとも、実家がスタジアム近くに移ったのは最近のことだ。生まれ育ったのは、山口市のお隣の徳山市(現在は周南市)。ここでサッカーと出会い、やがて帝京高校サッカー部の門を叩くことになる。
「山口は、サッカー選手としての僕のベースがあるところ。維新公園も、山口でサッカーをやっている子どもたちにとっては聖地ともいうべき場所です。県大会の決勝とか、本当に上のレベルのチームしか試合できないんですよ。僕も中学まで、1回か2回しか、ピッチに立ったことがなかった」