“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
浦和→代表→海外のはずが……。
19歳伊藤涼太郎、J2水戸で再出発。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/10/20 10:30
1年目の時にイメージしたプロ生活とは違うかもしれない。それでも伊藤はまだ序列を一気に好転させるポテンシャルの持ち主である。
「律も久保くんも……悔しい想いしかなかった」
しかし、今季のチームは同じ中盤の矢島慎也と長澤和輝がレンタル先から復帰。さらに競争は厳しくなり、彼はミニゲームにすら参加できない状況も生まれた。
「正直、めちゃくちゃ悔しかったし、もう練習を投げ出したいくらいの気持ちが生まれてしまいました。でもここで投げ出したところで、自分にとって何のプラスにもならないと思ったし、我慢をして、日々練習して行こう、まず紅白戦に出るためのアピールも必要だと思ってやっていました。……本当に難しい日々でした」
この状況下で、同年代の仲間は5月のU-20W杯に出場。世界のトップクラスを相手に堂々たる戦いを見せた。
「テレビで観ていました。本当にあそこに行きたかったし、かつて一緒にやっていた仲間が世界のトップレベルと戦っているのを、俺はただ観ているだけで、正直『俺はここで何してんねんやろ』と思った。年下でも(堂安)律なんかはあの大会後にオランダに行って点も取っている。久保(建英)君は一緒にプレーしたことは無いけど、あれだけ活躍をして、U-20W杯でアシストもして……。個人的には凄く悔しい想いしかなかった」
かつては否定的だったレンタル移籍という選択。
どんどん開く理想と現実のギャップが、これまでの考えを変化させた。根底にあったのが、確固たる“将来の設計図”だ。
「東京五輪は何が何でも出ないといけない大会。そのためには今の1分、1秒を絶対に無駄にできない」
2020年まであと3年。そこまでいかに自分が五輪代表に必要とされる存在になれるか。そこから逆算をすると決して時間的な余裕はない。そう考えたとき、これまでは否定していたものが芽生えた。
それは環境を変えることだった。
当初、彼はレンタル移籍には否定的な考え方だった。厳しい環境で戦えず、試合に出られる可能性を感じられなくなった選手が選ぶことだと思っていた。しかし、どんどん失われて行く試合勘に危機感を覚えた。
決定的だったのが8月30日のルヴァンカップ準々決勝、セレッソ大阪との第1戦のことだ。21歳以下選手枠としてスタメン出場をした伊藤だったが、2シャドーの一角で思うようなプレーが出来ぬまま、63分に交代を命じられた。