話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
イッペイ・シノヅカ22歳の逆輸入。
ロシアと日本、マリノスへの想い。
posted2017/10/20 07:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Getty Images/J.LEAGUE
10月14日、横浜F・マリノスvs.大宮アルディージャでのこと。マリノスのメンバー表を見た瞬間、「あれっ」と思った。日本人の名前なのに一人だけ表記がカタカナになっていたのだ。しかも、その名前、見覚えがある。記憶を確かめようと検索したら、すぐに思い出した。
イッペイ・シノヅカはかつて、「篠塚一平」という名前だった。
5年前、本田圭佑がロシアのCSKAモスクワでプレーしていた時、モスクワに取材に行った。その際、スパルタク・モスクワのリザーブチームと3年契約を結んだ17歳の日本人選手がいるということを聞いて、練習試合や練習を見にいったのだ。
その時の選手が篠塚だったのである。
篠塚は当時17歳でまだ線は細かったが、得意のドリブルで同年代では際立っていた。2011年東日本大震災が起こったことでロシア人の母の提案からモスクワに一時的に移住した。しばらくして帰国する選択肢があったが、篠塚はサッカーで勝負するためにモスクワに残った。
いくつかのクラブのテストを受ける中、チェルタノーバに合格。育成クラブとして有名なクラブで篠塚はトップ下として実力をつけ、スパルタクのリザーブチームとの契約を勝ち取ったのだ。全国ロシア・クラブユース大会で2得点をあげ、大会ベストMFに輝くなど結果を出した。するとロシアのU-18代表から招集の打診があった。ロシアでは将来有望な選手のひとりだったのだ。
先発メンバーに刻まれた「イッペイ・シノヅカ」。
2017年夏までスパルタクとの契約があると聞いていたので、その後もおそらくロシアでプレーするのだろうなと思っていた。
しかし、である。
8月にロシアから帰国し、F・マリノスに入団したとは知らなかった。9月23日の甲府戦で日本での公式戦デビューを果たし、初ゴールを挙げた際も「シノヅカ」という名前は聞いたが思い出すまでには至らなかった。この日のメンバー表を見て、記憶が呼び起こされたのだ。
そんなこともあって、この試合は右サイドハーフに置かれた彼のプレーを中心に見ていた。