“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
浦和→代表→海外のはずが……。
19歳伊藤涼太郎、J2水戸で再出発。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/10/20 10:30
1年目の時にイメージしたプロ生活とは違うかもしれない。それでも伊藤はまだ序列を一気に好転させるポテンシャルの持ち主である。
ピッチへの慣れ、体力面に関しての戸惑い。
「思った以上に公式戦のピッチへの慣れや、体力面などで戸惑いました。ただ自分の実力不足を痛感する一方で、自分のドリブルがセレッソ相手に通用する手応えはありました。こういう課題や手応えを、実戦を通じて積み重ねることの重要性を感じたし『俺は試合経験を積めばもっと成長できる。それだけの伸びしろがある』と自分の中で確信が持てた。だからこそ、もっと試合に出たいと強く思ったんです」
浦和が同大会で準々決勝敗退したことも決断に拍車をかけた。それも第2戦、21歳以下枠でスタメン出場したのは浦和ユースのDF橋岡大樹で、伊藤はベンチ外だったのだから。
「ルヴァンカップも無くなり、より試合に出るチャンスが少なくなると感じた。そのタイミングで水戸さんから話があったので、話があった日に即決しました」
1分、1秒を無駄にしたくない。この想いから、水戸への育成型移籍の話に迷うこと無く決断を下した。
「浦和で戦う自信がなくなったわけではない」
「浦和で戦う自信がなくなったわけではありません。やっていける自信がある上での決断です」
彼はこう続けた。この言葉はいかにも彼らしいものだった。決して後ろ向きな決断をしたわけではない。前進するために、より飛躍するために必要な英断であったと強調する。
こうして9月9日、彼はJ2・水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍が決まった。
同月24日のJ2第34節のザスパクサツ群馬戦で残り7分で投入されると、緩急のついたドリブルと的確なパスを披露し、難なく試合の流れに入って行った。
「後期、少し低迷している中で、何か1つ起爆剤が欲しかった。それが伊藤だった。ボールを持ったときは非凡なものがある。ボールを前に運べる、前につけれる、タメを作れる、一枚剥がせる、相手の逆を取れて、かつギリギリまでプレーを選べる。彼がいることでウチのボールの運び方もかなり変わった」
水戸の強化部長である西村卓朗がこう評したように、デビュー戦で攻撃のアクセントとして機能したことで、伊藤は続く松本戦で22分、湘南戦では24分と徐々に出場時間を伸ばした。