JリーグPRESSBACK NUMBER
カズ、ラモスが今も醸す独特の空気。
永井秀樹の引退試合は「今」のために。
text by
海江田哲朗Tetsuro Kaieda
photograph byTetsuro Kaieda
posted2017/08/30 08:00
武田修宏、ラモス瑠偉、三浦知良、そして永井秀樹。当時のヴェルディは、メンバーほとんどの名前を日本人が言えた史上初のサッカーチームであろう。
澤井「あの日味わった雰囲気は一生もの」
選手入場の時間となり、ロッカールームで円陣を組む。気迫に満ちた声が室内に響きわたり、最後に永井が「今日はみんなありがとう。スタジアムに来てくれた人たちに、おれたちのプレーを見せてやろうぜ」と締めくくった。勇ましくロッカールームを出てゆく緑のシャツの背中を、澤井と井上は見送った。
これらすべてを永井は後進に受け渡し、思いを託そうとしたに違いない。若手を指導してきた総仕上げが、引退試合のサプライズプレゼントだった。
「あの日味わった雰囲気は一生もの。身にまとう特別なオーラは真似できるものではありませんが、少しでも近づいていきたい。この経験は絶対に無駄にはしません」(澤井)
「将来、チームの中心としてプレーするには、いまのままではダメだぞという永井さんからのメッセージだと思います。自分から発信し、引っ張っていける存在になりたい」(井上)
変わることと変わらないこと、両方の大切さ。
引退試合からおよそ2週間後、東京多摩フットボールセンター・南豊ヶ丘フィールドに永井の姿があった。炎天下、サングラスの奥から視線を送る先には、東京Vユースの選手たちがピッチを駆けている。
「あの日から心境の変化はさほどないですね。自分の最後の舞台というより、ヴェルディが一番強かった時代をはじめ、Jリーグの歴史を振り返ってもらい、たくさんの人たちが喜んでくれたみたいでよかったです」
永井は小さく笑う。
練習中、広い視野を確保するための身体の向きやサポートに入るタイミングなど、細かい部分の指摘に余念がなかった。
「こだわりは強いほうですから、1メートル、50センチのポジショニングを選手に要求します。目指すのは常に自分たちがボールを持ち、主導権を握るサッカーです。ユースのカテゴリーで勝つことが目的ではなく、世界で勝つためには何をすべきか。そのへんは海外に進出できなかった自分の悔しさを踏まえてやっていますよ。ほかのジャンルと同様に、昔結果の出たやり方が現在も通用するとは限らない。サッカーは常に進化していますので、先進的な手法も採り入れていく必要があります」
長きにわたった現役生活を通じ、変わることと変わらないこと、両方の大切さを知る人だ。指導者として歩み始めた永井の取り組みから、新たに萌芽するものを楽しみに待ちたい。