JリーグPRESSBACK NUMBER
日本人で「一番ボールを奪える」男。
仙台・富田晋伍が忘れられない涙。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/03/03 08:00
バイタルエリアで相手アタッカーを迎撃し、攻撃へ――。仙台の生命線であるカウンターは、富田がボールを奪った瞬間から発動する。
J1デビューを飾ったのは、因縁の磐田の地だった。
「今だから言えるけど、個人的には意味のある出来事だった。J1昇格の懸かった大事な一戦だからこその経験だと思う。リーグ戦の1試合なら、あそこまで引きずることはなかった」
ヤマハスタジアムにあるのは、涙の記憶だけではない。'10年3月6日のことだ。富田はプロ6年目にして念願のJ1デビューを、因縁深い磐田の地で飾っている。当時、開幕スタメンを目標にしていた富田は、緊張して迎えたJ1の初舞台で堂々とプレーし、中盤でボールを奪い続けた。1-0の開幕戦勝利に貢献し、面目躍如。当時の思いを聞くと、声を弾ませた。
「開始早々にリャン(梁勇基)さんのゴールが決まって、(自身の)J1一発目で勝てたことが大きかった。今となってはヤマハスタジアムといえば、僕の中ではまず2010年のイメージが思い浮かぶ」
J2で5年間、下積みした富田は、チームの躍進とともにJ1で著しい成長を見せた。'11年は4位、12年は広島と優勝争いを繰り広げて2位、クラブ史上初のACL出場権獲得の原動力となった。
抜擢した手倉森監督も「小さな巨人」と称賛した。
当時、仙台を率いていた手倉森誠監督(現日本代表コーチ)は富田のボール奪取力を高く評価し、「小さな巨人」と称賛した。'11年から'14年まで主にボランチでコンビを組んだ角田誠(現清水エスパルス)は、誰よりもその技能を認めていた。普段からシビアな目で物言いをする男が「ボールを奪う技術は、日本人選手で一番だと思う。1人でボールを奪い切れる」と手放しで褒めている。
手倉森体制で堅守の仙台に欠かせぬ歯車の1つになっていた富田だが、'14年途中からチームを率いる渡邉晋監督からは、それ以上のことを求められた。
'14年の暮れのことだった。練習終わりに渡邉監督にクラブハウスの応接室へ呼ばれ、新キャプテン就任を打診された。驚きと戸惑いを隠せなかった。チームを引っ張るような柄ではないと自覚していたから、「なぜ、僕なのかと思った」。負けず嫌いな性格を買われ、「キャプテンとして、それを前面に出してほしい」という説明に、半分は納得しながらも、時間をもらって熟考した。