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日本人で「一番ボールを奪える」男。
仙台・富田晋伍が忘れられない涙。
posted2017/03/03 08:00
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
あの日のヤマハスタジアムの光景は、記憶に深く刻み込まれている。ベガルタ仙台の富田晋伍は、他の誰よりも責任を背負い込んだ。
2008年12月13日、J1・J2入れ替え戦の第2戦。スコアは1-2でジュビロ磐田の勝利。試合終了の笛が鳴り響くと、涙が頬をつたった。悔しくて、不甲斐なくて。仙台から遠路駆けつけ、ゴール裏を黄色に染めたサポーターの姿が目に入ると、また感情がこみ上げ、目を赤く腫らし、そして憔悴した。
「本当に申し訳ないと思った。僕のせいで負けたと言ってもいいくらい。2失点ともに絡んでいたので……」
8年4カ月の歳月を経ても、J1昇格を逃したときの思いは心から消えない。
入れ替え戦で何度も切り返しに翻弄されて……。
入れ替え戦、ホームでの第1戦は1-1で折り返し、第2戦は松浦拓弥に先制ゴールを許した。そして70分のことだった。縦パス1本のカウンターを浴びて富田と松浦が1対1になると、対人守備が得意なはずのボランチは松浦の切り返しに翻弄される。何度も背中を取られ、痛恨の2点目を献上。歓喜に沸く磐田の選手たちを横目に、富田は両手を腰にあて、ゴール前で呆然と立ち尽くした。
「あのときは自分からアクションを起こせず、何もできなかった。すごく後悔した。ずっと相手の間合いだったから」
人一倍負けず嫌いの男は、この失点を忘れようとはしなかった。猛省し、成長の糧にした。あれ以来、試合で同じような場面になると、松浦との1対1が脳裏をよぎることもあった。そのたびに「自分から仕掛けないとダメだ」と言い聞かせてきた。
その甲斐もあって守備の意識が変化し、「自分の間合いでいけるようになった」。翌年はひと回り成長し、シーズン半ばから定位置を確保。'03年以来となるJ1復帰に貢献した。