オリンピックへの道BACK NUMBER
最高の選手、指導者になれたはず……。
至極のスケーティング、小塚崇彦の引退。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2016/03/18 11:15
引退後は所属していたトヨタ自動車で会社員として働くことを選んだ、元世界選手権銀メダリストの小塚。
「スケーティングを教えられる人がいない」
大西氏は、こうも語っていた。
「山下(艶子)先生にはコンパルソリーを手取り足取り、教えていただきましたし、自分の頭の中に基本を植えつけていただいたのは、山下先生、そして佐藤(信夫)先生のおかげです。つまり、同じ血、同じ血統なんです。山下先生、佐藤先生、僕、(小塚崇彦の父の)小塚さん。小塚さんの息子さんも、その血統にありますね」
「スケーティングを教えられる人がいなくなってきていること」への危惧を話す流れで出てきた言葉だ。そこには、スケーティングを指導できる後継者としての小塚への期待が込められているようだった。
子供に笑顔で話しかける姿は未来の指導者に見えた。
氷上での姿と言えば、こんな場面も心に残っている。
2011年、八戸市の新井田インドアリンクで開催された「THE ICE」の開演前のことだ。
被災地の小中学生のスケーターたちを対象にスケート教室が開かれていた。8つのグループに分かれ、国内外のスケーターたちがそれぞれに付いて教える中、小塚は各グループをまわっては、子供たちに声をかけていた。全体をリードするかのように懸命だった。
子供たちに話しかけるときはただただ、笑顔だった。励ますような、勇気付けるような笑顔だった。
教えるのが好きなんだな。そう感じたのを覚えている。
大西氏の言葉。スケート教室での姿……いずれは指導者として歩んでいくのだろうと想像したし、その資質も備わっている。歓喜と失意を何度も味わってきた競技人生もまた指導者としての糧になるはずだった。