オリンピックへの道BACK NUMBER
最高の選手、指導者になれたはず……。
至極のスケーティング、小塚崇彦の引退。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2016/03/18 11:15
引退後は所属していたトヨタ自動車で会社員として働くことを選んだ、元世界選手権銀メダリストの小塚。
フィギュア界を冷静に見渡せる、数少ない選手だった。
氷上だけではない。
ある時期から、誤解を恐れずに言えば、風格が増した。
「兄貴分」として見られるようにもなったし、フィギュアスケート界を見渡してしばしば発言するようになった。ときに、採点のあり方に言及することもあった。自身の得点についてではない。全日本選手権での女子へのシビアな評価に、異議を唱えたのだ。そこには責任感がうかがえた。
いや、そもそも備わっていたのかもしれない。
海外遠征から浅田真央と帰国した際、浅田を囲む記者たちを制したこともあった。村上佳菜子が騒いでいるとき、叱る姿を目にしたこともある。怒りではない、愛情をこめた叱り方だった。
見えにくかった責任感が、表に立って見えるようになったのがこの数年だったのかもしれない。リーダーシップを発揮しつつ、それも存在感を放っていた。
誰もが一目置くスケーティング技術を持つ選手。
むろん、氷上にこそ、小塚の真実はある。小塚は小塚にしかない武器とともに、観る者を魅了してきた。
昨年12月上旬、スケーティングを教えることでは定評のある大西勝敬コーチに、尋ねたことがある。現役も含め近年の選手で、スケーティングが優れている選手は誰か、と。
大西氏はすぐさま名前をあげ、そのあとにもう1人の名前をあげた。最初にあげたのは「小塚崇彦君」。
そのあとに言ったのは高橋大輔の名前だったが、間髪入れず小塚をあげたところに、評価の高さがうかがえた。
氷上で、思い通りの図形を描ける選手でもあった。イーグルの美しさをはじめ、誰もが一目置くスケーティングこそ、小塚を小塚たらしめ、氷上での個性と存在感となっていた。
「ほかの人よりは時間がかかっても、歩みは遅いと思うんですけど、いや、ときには停滞しているように見えることもあると思うけれど、その中で一歩ずつ、吸収しながら前へ進んできたと思っています」
小塚は自身の歩みをこう表現したことがある。他の追随を許さないスケーティングを磨いたのは、その言葉のとおり、小塚の小さい頃からの積み重ねにほかならない。小塚のスケート人生を象徴するのがスケーティングだった。