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最高の選手、指導者になれたはず……。
至極のスケーティング、小塚崇彦の引退。

posted2016/03/18 11:15

 
最高の選手、指導者になれたはず……。至極のスケーティング、小塚崇彦の引退。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

引退後は所属していたトヨタ自動車で会社員として働くことを選んだ、元世界選手権銀メダリストの小塚。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Asami Enomoto

 半ば予想していた。一方で、予想はできなかった。さまざまな思いが渦巻いた。

 3月15日、小塚崇彦が自身のオフィシャルサイトを通じて、引退を発表した。

 2010年バンクーバー五輪に出場し総合8位入賞。翌年の世界選手権で銀メダルを獲得。全日本選手権は12度出場し表彰台にあがったのは優勝も含め計7度。

 長年にわたり、日本のトップスケーターとして活躍してきた小塚は、この数年、怪我に泣かされてきた。

 世界選手権で銀メダルを獲得した翌シーズンの2011-2012年は、靴が合わずに苦しんだ。

 2012-2013年シーズンの全日本選手権は怪我を抱えながら強行出場し、総合5位。6年ぶりに表彰台を逃した。

 その後も、何度も何度も怪我に苦しめられてきた。その中でも、ハッとする滑りを見せてきた。

 2013年12月、魂のこもった演技で3位となった全日本選手権。

 2014年12月の全日本選手権も、怪我の影響に苦しんだシーズンだったが、フリーで渾身の滑りを見せて3位と表彰台に上がった。

 最後の大会となったのは昨年12月の全日本選手権。フリーの演技直前、靴紐がホックから外れるアクシデントに見舞われた。動揺は隠せず、総合5位にとどまった。

 そのあと、小塚は言った。

「今後については(佐藤)信夫先生と話して考えていきたいと思っています」

 度重なる怪我を考えれば、進退について考えざるを得なかっただろう。引退は遠くはないと予感させる言葉と表情だった。

「表現は、ある程度の経験や内面の成長がなければ……」

 以前、小塚は言った。

「フィギュアスケートは、22、23歳あたりを過ぎてから、いい味が出てくる、いい演技ができる競技だと思うんですよ。表現は、ある程度の経験や内面の成長がなければいけないと思うから」

 怪我に苦しめられたこの数年は、その言葉のとおりであったようにも思う。

 苦しい中で見せてきた滑りは、先に記したように、気持ちのこもった演技であると同時に、「見せる」ことでの成長があってこその、強い印象を放っていた。

【次ページ】 フィギュア界を冷静に見渡せる、数少ない選手だった。

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