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“ドーピング時代”の世界記録たち。
陸上界が問われる、過去との決別。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2016/01/24 10:30

“ドーピング時代”の世界記録たち。陸上界が問われる、過去との決別。<Number Web> photograph by AFLO

国際陸連のセバスチャン・コー会長は、リオ五輪出場競技へのロシアの出場停止もありうるという姿勢を見せている。

東欧諸国、特に東ドイツでは国家ぐるみのドーピングが。

 '80年代に生まれた、世界記録あるいは今日もランキング上位に残る記録の多くは、東欧諸国の選手によるものだ。その中心は東ドイツである。

 東ドイツでは国家ぐるみで、陸上や競泳などでドーピングが行なわれていた。「ベルリンの壁」の崩壊後、その手法や規模などが廃棄されていなかった資料の発見をはじめ、選手や関係者の証言などで明らかになったのだ。1960年代からなされていたこと、成人の選手のみならず将来有望とみなされた10代の選手にも、毎日筋力増強剤が渡されていたこと。コーチの前で飲むように求められたから、飲まないわけには行かなかった。

 多くの選手は、それが筋力増強剤であることを知らなかったという。ドーピングの影響で、一生涯にわたる身体のダメージを負った選手は少なくなかった。のちに当時のコーチや医学者を提訴した選手もいる。

 このようなケースもあった。砲丸投げの女子選手だったハイディ・クリーガーは16歳から筋肉増強剤を渡され飲み続けた。欧州選手権で優勝するまでになったが、体のあちこちを故障し、それ以上の成績をあげるに至らなかった。のちにそれがドーピングであったことを知ると、うつ病となり自殺も考えた。

 その後、クリーガーは性転換手術を受ける。女性へと気持ちが向かうようになったからだ。専門家に相談すると、「過剰な増強剤の摂取の影響は十分考えられる」と指摘された。筋肉増強剤は男性ホルモンの作用を持っている。

当時の検査をすり抜けた記録が、今も残っている。

 一人の選手について記したが、国家の威信をアピールしたいがために、多くの悲劇が生まれた。その後スポーツが多大な収益を生むようになると、国家規模のみならずより小さな組織でも、選手個人でもドーピングが蔓延していったが、その弊害に変わりはない。

 どの記録がドーピングによるものかはもちろんわからないが、'80年代に、今になっても抜くことのできない、突出した記録が生まれた事実はなお残っている。東ドイツなどで行なわれていた行為が明らかになっても、当時のドーピング検査をすり抜けた記録は、消されることなく存在し続ける。

【次ページ】 一度歴史を断ち切るという選択肢もある。

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