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〈敬遠騒動前のセンバツ〉松井秀喜に“真っ向勝負”した宮古のエース…2打席連続3ランで「周囲から、バカだと言われましたよ」
posted2021/03/31 17:02
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
KYODO
【初出:Sports Graphic Number 834号(2013年8月8日発売)「〈ホームラン全4本の記憶〉ゴジラと勝負した3人の男たち。」/肩書などはすべて当時】
他を圧する風格の強打者を打席に迎えても、逃げることなど考えなかった。渾身の力で投げ込んだ白球は確かにスタンドの彼方まで運ばれたが、真っ向勝負に悔いはない。敬遠伝説が生まれる前、正面からゴジラに挑み、痛恨の一発を浴びた3人の投手が、20年の時を経てなお鮮明な記憶を語る。
◆◆◆
ついにバットを振らぬまま対戦相手の校歌を聞いた。1992年8月16日、甲子園での明徳義塾高校戦、松井秀喜は、敬して遠ざけられた。怪物の評価を確定させた5打席連続四球。はなからストライクは放棄された。
あの「敬遠の夏」には、春、そして前の年の夏の伏線があった。ゴジラの進路に両手を広げて立ちはだかる少年がいた。堂々と勝負を仕掛ける。すると白い物体は外野の向こうへと運ばれた。松井、ホームラン! そうやって、苦く、切なく、歳月を経ると誇らしくもある青春の句点は打たれた。
以下、悔いが悔いでなかったストーリーである。あれから20年強、本塁打を許した者はそれぞれの世界に生きている。胸の底、そのまた底から「マ」と「ツ」と「イ」の響きが消えることはない。
「この季節は、いつも私が打たれてる映像が流れる」
JR常磐線、夕刻の石岡駅は蒸していた。近くの古いホテルにようやく喫茶スペースが見つかり、ややあって、ポロシャツ姿の背の高い人物は現れた。
鷺沼智尉。旧姓の藁科と紹介すれば、あるいは思い出される高校野球ファンもおられるだろう。かつて茨城県立竜ヶ崎第一高校のエースを張った。'91年8月17日、一学年下の2年生、松井秀喜の2ランを浴びた。
「夏の甲子園の松井のホームランはそれしかないはずです。だから、この季節は、いつも私が打たれてる映像が流れて」
3回戦。8回表。2ストライクを奪い、サイン通りにフォークを落とすと、のちにニューヨーク・ヤンキースの一員となる四番打者の手は出ない。しかし球審の手も上がらなかった。「あそこで三振とれてればよかったんでしょうけど」。それならとシンカーを放る。「でも落ちなくてシュート気味に甘く入った」。右中間スタンドへ。一塁側応援席の中学時代の友と目が合った。「自分は笑ったんです。打たれちゃったよ、みたいな感じで」。3対4の惜敗。「惨めではなかったんですよ、大差をつけられたわけじゃないのでね」。飄々と言い切った。