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【センバツ秘話】阪神入りした堀越のエースが語る“松井秀喜の本塁打”「変な音がしました。鈍い音であれだけ飛ばされると…」
posted2021/03/31 17:03
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
Sankei Shimbun
【初出:Sports Graphic Number 834号(2013年8月8日発売)「〈ホームラン全4本の記憶〉ゴジラと勝負した3人の男たち。」/肩書などはすべて当時】
夏の甲子園は県大会で敗退、一般の入試で東北学院大学へ進んで、2年間は野球を続けて自主退部。学窓を去ると、電子部品関連の業務に一貫して携わり、白球の思い出からは距離を保ってきた。家庭を得て、いま小学3年の息子の少年野球チーム「篠原イーグルス」の練習指導に付き合い、ようやく、みずからの経験を言語化できるようになった。
「敬遠をしなかった自分に誇りを抱けるようにもなった」
3回。2死二、三塁。松井秀喜が左打席に入った。監督の伝令が駆けてきた。「臭いところをつけ」。記憶ではそうだ。ニュアンスのある、いや、あり過ぎる指示。
「僕は臭いところで勝負だと。もしかしたら臭いところで敬遠だったのかなあ。監督も亡くなられて確かめようもないのですが。まあ敬遠してもよい環境ではありました」
2-1とうまく攻めて、決め球のアウトロー、カットでなく強振でファウルされた。「あとで振り返るとそこで勝負あったんです」。走者がたまっているので低いボールを振らせる選択は封じられた。「カウントで追い込んで実は追い込まれていく」。わずかに球が高く浮いた。もう球場は揺れていた。
5回。1-1からの一投は「完璧にセンターフライ」。ところが曇り空へ向いた軌道がスタンドまで達してしまう。同僚の中堅手もまず前へ出て、あれっ、と見送った。
「アウトローのコントロールには自信がありました。そこに投げ続ければ打たれない。なのに違うところへ投げるように仕向けられていく。そこが松井さんの威圧感なのです」
軟投の生命線である制球と配球は、特大の骨格と才能の前に無力化された。
「松井さんと勝負できて私の限界もはっきりとわかりました。敬遠をしなかった自分に誇りを抱けるようにもなった。あそこは真っ向勝負しかない。ピッチャーとしてマウンドに立った以上、勝利だけでなく、逃げないことも目的のひとつなのです」
最後まで同学年の対象を呼び捨てにもクンづけにもしなかった。圧倒されたからか。そうではない。一点の曇りすらなく向き合った投手と打者に同化の必要はないのだ。