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〈敬遠騒動前のセンバツ〉松井秀喜に“真っ向勝負”した宮古のエース…2打席連続3ランで「周囲から、バカだと言われましたよ」
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byKYODO
posted2021/03/31 17:02
伝説となった5連続四球に、渋い表情の松井秀喜
「大会700号」を放った高校球児が見た“松井秀喜”
竜ヶ崎一は、地域の伝統校だ。公立の普通のチームが、超の字の怪物を擁する私学によく挑んだ――。つい、そんな図式にあてはめたくなる。あの夏の関係は本当は違った。
そもそも松井秀喜についてさしたる認識がなかった。「顔は知ってました。ゴツゴツしていてね」。印象はそこにとどまる。もとより敬遠策などありえなかった。
マウンドの藁科その人も、おとなしい高校生とは一線を画していた。地元の中学野球部では名を知られ、幾つかの高校からも誘われた。学業成績もそんなに悪くない。なのに背を向けて「板金屋でアルバイトばかり」。そのまま就職のつもりだった。野球の素質を惜しむ周囲の勧めもあって、志願書提出期限の直前、竜ヶ崎一の定時制に滑り込んだ。
「進学しないと決めて髪を染めて、あわてて丸刈りにしても色は残ってました」
異色の甲子園投手の誕生である。そういえば星稜戦では本塁打を記録している。記念すべき「大会700号」。仲間に予言、賭けをしての一発だった。
当時の大洋などプロ球団が興味を寄せるも中央学院大学の野球部へ進む。定時制は4年通学だったので「卒業の年のブランクのつけで肩を痛めて」燃焼には至らない。卒業後は建設現場で働きながら、こつこつ公務員試験に臨み、やがて近郊の市役所勤務を果たす。
敬遠伝説「いい作戦ですよね」
あの連続敬遠は、おそらく家の居間で見た。
「いい作戦ですよね。有名な松井がそこにいて、打席のたびにヒット、ホームランを打っていたら私も使ってました」
北関東の抑揚が超然として憎めない。でも自身は勝負できて幸せだったのでは?
「どうなんでしょう。私の時は、一学年下でよく知らなかったので」
小学4年の作文に、将来の夢を、公務員と綴った。その通りになって、沈まぬシンカーの感触はしだいに遠い。「かたや国民栄誉賞ですもんね。私にもそのカケラくらいを」。笑い声とともに一瞬の交錯は永遠と化した。