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広島・佐藤寿人がザックジャパンへ!
招集直前に語っていた代表への想い。
text by
細江克弥Katsuya Hosoe
photograph byAFLO
posted2012/10/12 10:30
ゴールを決めるという本質に特化した佐藤寿人は、まさに純粋なストライカーと呼ぶに相応しい。代表でもその得点力を発揮できるか。
「とにかく結果を出さなければ代表では生き残れない」
サッカー選手である以上、もちろん日本代表の一員としてプレーしたい。ポジションはどこでもいい。たとえ与えられる時間が短くても、何とか結果を残して生き残りたい。W杯に出場したい――。
そう感じていたのは、おそらく'06年2月の代表デビューから南アフリカW杯が終わる'10年あたりのことだろう。彼が言う「譲れない部分」とはセンターFWとしての自信に他ならないが、イビチャ・オシムにはサイドでのプレーを求められ、岡田武史に与えられた出場時間はいつも約5分程度だった。
「それでも結果を残していれば今でも代表に呼ばれていたと思うんです。FWだからなおさら。僕の中では“代表のスーパーサブ”というポジションを確立したいというモチベーションに切り替えた時期もありましたけど、やっぱり、とにかく結果を出さなければ生き残れない。それは当然ですよね」
自分は生粋のストライカーであるという“譲れない部分”を胸に閉じ込めながら、寿人は開き直って与えられた役割を全うしようとした。しかし、指揮官の期待に結果で応えることはできなかった。
かすかに手応えを感じていた時期があるとすれば、'09年末から'10年初めである。しかし南アフリカW杯を約半年後に控えた東アジア選手権、格下の中国に引き分け、同格と見ていた韓国に完敗を喫したチームにおいて、寿人は存在感を示すことができなかった。改めて振り返れば、中国戦の5分間、韓国戦の8分間を足した計13分間の出場時間で結果を残せていれば――という思いも湧いてくる。
ザックが求めるFW像に合致しないのは理解するが……。
結局、ドイツW杯に続いて南アフリカW杯への出場も逃し、アルベルト・ザッケローニ体制になってからの代表チームは彼にとって遠い存在になった。指揮官が求めるFW像に自身のプレースタイルがフィットしないことは、自分自身が誰よりもよく理解している。
「監督次第というか、いろんな考え方があるので、それは選手がどうこう言えることじゃないと思うんですけど……まあ、そうですね、もう少し自分が年齢的に若ければとは正直思います。あとはもう、単純に身長ですよね(笑)。ザッケローニさんは1トップにある程度のサイズを求めている気がするので、僕はそういう見方をされているのかなって」
ザックジャパンの戦術は1トップが主流。その最前線で求められるのは、ペナルティエリア内、もっと言えばゴールエリア内で勝負するタイプの自分よりも、2列目のタレントを最大限に引き出す連係であり、高さである。30歳の自分がどれだけJリーグで結果を残しても、32歳になって迎える本番までコンディションを維持できるとは限らない。連係を高めるために残された時間は少なく、高さを手に入れることはもはや不可能である。ザッケローニが振り向いてくれなくても、納得はできないが理解はできる。