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高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTamon Matsuzono
posted2011/06/29 06:00
父への感謝、良きライバルである兄弟への思い。
「僕は長男なので、決断はいつも難しかった。進路を選ぶのも兄弟の中で初めてなので、自分の決断が弟たちの道しるべにもなりますから、いろいろ考えましたね。当然、親とも喧嘩したし、迷惑をかけたけど、その中で最終的に自分がこうすると決めたことに、両親は賛同してくれた。これまで父のアドバイスに頼った部分もあったし、救われた部分もあったので、本当に感謝しています」(俊幸)
「自分で決めてきて、やらされた感は一切なかった。父からプロとしてどうあるべきかを教えてもらった。僕は3人兄弟の真ん中だけど、俊幸とは1歳しか違わないし、プレースタイルも違うので、切磋琢磨できる良きライバルであり、良き仲間だった。大輔は一緒にプレーしたことはないけど、『俺も兄に負けたくない!』という気持ちは伝わってきたし、プレッシャーがある中で結果を残しているのは凄いと思う」(善朗)
「いろいろプレッシャーはあったけど、兄2人がいたから頑張れた」(大輔)
俊幸と善朗はJリーガーになり、大輔は今、U-17日本代表の一員として、メキシコでU-17W杯を戦っている。それぞれがお互いを認め合いながら、強い意思を持って、目標に向かって突き進んでいる。
「人間力を磨かないと、いいプレーは絶対にできない」(豊)
「3人が同じことをやっているわけだから、プレッシャーとか負けたくない気持ちもあるし、鍛えられた部分もあると思う。例えば善朗は『俊幸は俺より足が速い』と言って、違うスタイルを目指したのも分かるし、俊幸にとっては『俺が出ていないのに弟が出ている』と兄の面目もあって『じゃあ俺は何をすべきか』と考えたと思う。だから長男と次男がサッカーの話をすると、もうズレまくりなんですよ(笑)。まったく持っている感性が違う。そんなときに、大輔がぼそっと的確な一言を言う(笑)。善朗は理論が強くて、俊幸は自由。そして臨機応変に対応するのが大輔という図式ですね(笑)」
個性の違う頼もしき息子たちの姿を見て、豊は今、こうエールを送る。
「上の2人に関しては、ここからが自己管理の世界。お金をもらえるようになって、20歳になると何でも解禁になってくる。そこでいかに自分に規制をかけられるか。サッカーは人間がやるスポーツ。人間力を磨かないと、いいプレーは絶対にできない。サッカーだけうまい奴は、人から愛されない。本当のスーパースターは人から愛されるし、人から愛されない人は、一時期はよくてもそのうち消えていく。自分の選んだ道をどこまで追求していけるか。今、2人は試されていると思う。大輔は早く兄と対等に話せるように、自分を磨いている最中だね」
『蛙の子は蛙』とは限らない。この固定観念を外すためには、子供に決定権を与えてあげること。
高木3兄弟は自分の意思を貫き通しているからこそ、今がある。それは父親がプロ選手という単純なものではない。
(1)表情、言葉、目で本気度を見極める。
(2)決定権はすべて子供に与える。
(3)夢を聞き、何をすべきかを問いかける。
高木豊(たかぎゆたか)
1958年10月22日、山口県生まれ。中央大学から'81年に大洋(のち横浜ベイスターズ)に入団。'83年から4年連続で打率3割を記録、'84年には56盗塁で盗塁王を獲得。'85年には加藤博一、屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成し、一時代を築く。日本ハムを経て'94年に引退。現在は野球解説者として活躍するがサッカーにも造詣が深い