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甲子園の風BACK NUMBER
江川卓17歳の剛速球「あんなボール、頭に当たったら死にますね」達川光男が戦慄…「打球が前に飛ばん」「速すぎてバントもできん」広島商の“奇策”
text by

安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byJIJI PRESS
posted2025/03/30 11:03

1973年春、初めて甲子園のマウンドに立った怪物・江川卓
ちなみに、4回2死から初安打を放ったのも有田だった。高校卒業時に近鉄からドラフト2位指名を受けてプロ入りする有田も、超高校級の選手だったということだろう。とにかく、そこまでの11アウトは、すべて三振だったのだから、江川の「怪物」ぶりは半端じゃない。
「あんなボール、頭に当たったら死にますね」
最終的に、江川は4安打19奪三振で北陽を完封し、2対0で作新学院が勝利した。上々の甲子園デビューだが、当時の朝日新聞には「6、7、8回はちょっと球威が落ちた」と書かれている。「いや落ちたのではない。落としたのだ」と記事は続く。
野手から、「おい江川、守備の練習をさせろよ」と声をかけられたというのだ。そのせいか、毎回奪三振は7回までで途切れている。
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三振をとり過ぎて、味方から文句を言われる。すでに県大会などで8度の無安打無得点試合(うち完全試合2試合)を達成していた「怪物」ならではの悲劇である。
「江川が敵だと大変だろうが、後ろで守るのも大変なんだ」
作新学院の一塁手だった鈴木秀男がぼくに打ち明けてくれたことがある。
いつも完全試合がかかる試合展開になる。「内野はもうガチガチだよ」。それでいて、めったに打球は飛んでこない。「誰かが先にエラーすると、正直ホッとしたもんだよ」
何はともあれ、「怪物」と仲間たちは衝撃の全国デビューを飾った。
江川のデビュー戦のスタンドには、開会式を終えた広島商の選手たちもいた。
「あんなボール、頭に当たったら死にますね」
その剛速球を目の当たりにした達川光男は、監督の迫田穆成に言った。
迫田も、これは噂に違わぬ剛腕だと感じていた。
「すごかったですね。なにせ、打球が前に飛ばんのじゃから」
栃木にすごい投手がいるという情報は、早くから迫田の耳にも届いていた。「ボールが速すぎて、バントもできんらしい」と迫田は選手に伝えている。前年秋のことだ。
すでに夏の選手権大会で4度も頂点に立っていた名門校。常に全国大会を視野に入れている。得意のバント戦法も通じない投手から、どうやって点を取るか。