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野球クロスロードBACK NUMBER
「話に混ざりてぇけど、混ざれねぇ」「野球の名門校ばっかりで」母校は県下屈指の進学校…異色キャリアの監督が“甲子園通算30勝”達成までの波乱万丈
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2025/03/25 06:02

甲子園通算30勝を達成した福島・聖光学院の斎藤智也監督。いまでは甲子園の常連だが、当初は様々な葛藤もあったという
横浜の監督時代に甲子園歴代5位の51勝を挙げた名将と初めて出会ったのは、11年のアジアAAA野球選手権だった。コーチとして招聘された斎藤は、監督を務めていた渡辺とここで親しくなった。
「聖光学院の野球は間違いないです」
斎藤が甲子園に出るたびに、そうやって背中を押してくれるのが渡辺なのだという。
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「渡辺さんのそういう励ましをいただきながら、時間が解決してくれたこともあるだろうしね。今はもう、学歴も経歴も関係なく、誰とでも話せるようになってるから」
どれだけ勝っても「指導者の価値が決まるわけじゃない」
聖光学院は07年から19年まで戦後最長となる13年連続で夏の甲子園に出場し、強豪校として認知される存在となった。そのチームを30勝まで導いた監督の斎藤は、今やかつての自分がそうだったように若手指導者などから一目置かれている。
そんなことに触れると、斎藤はまた自身の勝ち星と同じようなリアクションを見せる。
「どれだけ勝ったって、それで野球の指導者の価値が決まるわけじゃないから」
斎藤にとっての指導者の価値とは、人と歩み、自らも魂の練度を高めていくことである。
「今、生徒の気質が変わってきてるって、よく言われてるじゃない。でも、人間っていうのは、根源的に昔から変わってないものがあると信じたいんだよ。武士道の精神みたいな、そういう心を高めていくって気持ちはいつの時代の高校生にもあると信じて、生徒たちと向き合っていきたいよね」
人生で抱いたコンプレックス。
それはきっと、甲子園通算30勝への道筋には必要な弱みだったはずである。
だからこそ斎藤の、このわかり切った言葉にも味わい深さが漂う。
「聖光学院に来て、よかったと思ってるよ」
