野球クロスロードBACK NUMBER
「お前の熱さ、息苦しいよ」→「このチームで負けたら仕方がない」…甲子園を去った「ある名門野球部キャプテン」の軌跡 チームはなぜ一枚岩になれたのか?
posted2023/08/16 11:02
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Nanae Suzuki
眉間にしわが寄っている。
今にも泣き出しそうな感情を必死に抑えつけるように、聖光学院のキャプテン、高中一樹の顔が歪んでいた。
この夏、日本一を目標に掲げていたチームは、甲子園2回戦で優勝候補の仙台育英に敗れた。
悔いはある。だが、高中は顔を上げた。
「控え選手や監督さん、コーチといったスタッフのみなさんが自分たちに力を出させてくれたからこそ、夏に勝ち抜けてここまで来られたと思っています。絶対に敗けさせたくなかったですし、力不足を感じていますけど、粘り強く戦えました」
チームの歩みを誇るキャプテンに水を向ける。――この1年、チームをまとめてきた自分を率直にどう振り返るか、と。
高中が頷き、想いを吐く。
「最初は不安しかありませんでしたけど、控え選手も含め全員が去年までなかった気持ちを出して戦えたし、本当に助けられました」
報道陣に囲まれている高中のすぐ隣で取材を受けていた監督の斎藤智也は、何度もキャプテンに関する質問に答えていた。「もう5回目くらいかな? でも、記者さんはいろんな選手を取材してっから、聞くのは今が初めてだしね」と苦笑しながら、辟易した様子はない。それどころか、嬉しそうですらあった。
「高中が成長したおかげで甲子園に来れたし、チームがひとつになれましたんで。聖光学院が求める集団になってくれたっていうのは、高中にキャプテンシーがあったからです」
全国有数の野球強豪校でキャプテンを務める重責
春夏合計で甲子園出場24回。ベスト8は5回、ベスト4が1回と、聖光学院は全国でも有数の強豪校と呼ばれている。
部員数も100人を有に超えるそのチームがトップに据える旗頭とは、単に野球の実力に秀でた選手では務まらない。技術より大切なもの。それは、謙虚で愚直であり、闘争心に溢れ、粘り強い姿勢を常に体現できる者。古風な表現になってしまうが、突出した「人間臭さ」が求められる。
聖光学院の歴代キャプテンに背番号2桁の選手が珍しくないことこそ、その好例だ。
2007年の高橋晋平は、入学時点で「自分はレギュラーにはなれない」と実力を認めた上で、バッティング練習中に声を出し過ぎて失神するほど、一つひとつの物事に全精力を注いだ。15年の三浦陸は「自分は県外の選手に比べると野球は下手ですけど、聖光学院を”外人部隊”と呼ばせたくない」と、地元の伊達中から入学。Bチームの監督である部長の横山博英をして「三浦の意見に逆らった奴は俺が許さない」と言わしめるほど、求心力のあるキャプテンだった。