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「話に混ざりてぇけど、混ざれねぇ」「野球の名門校ばっかりで」母校は県下屈指の進学校…異色キャリアの監督が“甲子園通算30勝”達成までの波乱万丈 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2025/03/25 06:02

「話に混ざりてぇけど、混ざれねぇ」「野球の名門校ばっかりで」母校は県下屈指の進学校…異色キャリアの監督が“甲子園通算30勝”達成までの波乱万丈<Number Web> photograph by Genki Taguchi

甲子園通算30勝を達成した福島・聖光学院の斎藤智也監督。いまでは甲子園の常連だが、当初は様々な葛藤もあったという

 甲子園に出始めたばかりの頃の斎藤には、野球界の横のつながりが希薄だった。

 教え子をプロどころか、東京六大学リーグや東都大学リーグといった強豪リーグにも送り出せていない。したがって人脈も少なく、甲子園常連のエリートたちとの共通の話題が圧倒的に少なかった。

 甲子園の抽選会や開会式など、指導者たちが一堂に会する場で、遠くから羨望の眼差しを送ることもあった。

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「話に混ざりてぇけど、混ざれねぇ……」

甲子園の名将たちに圧倒された監督初期

 智辯和歌山の高嶋に帝京の前田三夫、明徳義塾の馬淵史郎……全国制覇を経験する名将たちが聖地での再会に盛り上がっている。その様子に昂揚しながら、虚しさも覚えていた。

「『すげぇ』って思いながら、そういう場面を見てたこともあったね。当時の俺は実績もなかったから、『福島高校から仙台大に行きました』って言ったところで誰も知らねぇから、話にも混ざれない。野球の人脈とかの話になっと、ちょっと辛いことはあったよね」

 自分で「辛い」と口にしたことを自覚してか、斎藤は「でも」とすぐに自分と向き合う。

「それが強烈なコンプレックスかって言うとそうではないんだ。多少はあったけど、大学受験に失敗して人生設計が崩れた時のほうが屈辱だったかんね。そこからは『過去の栄光だの、学歴にプライドを持っていた自分が恥ずかしい』って思いながら生きてっから」

 どのコミュニティでも同じだろうが、門戸というのは実は、相手ではなく自分から閉ざしていることのほうが多かったりする。当時の斎藤のように「自分なんか」と思っていたとしても、いざそこへ入ってみると中の住人たちはすんなりと受け入れてくれるものだ。

 甲子園への出場、そして勝利を積み重ねていくなかで、斎藤にその寛容さを教えてくれたのが渡辺元智である。

【次ページ】 どれだけ勝っても「指導者の価値が決まるわけじゃない」

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