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「辛かったのは事実です」東京五輪で銀→世界水泳で金…でもパリ五輪で「まさかの予選落ち」“日本競泳界のエース”はなぜプールから姿を消した?
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田坂友暁Tomoaki Tasaka
photograph byJMPA
posted2025/03/23 11:02

東京五輪では19歳の若さで200mバタフライで銀メダルを獲得。その後も順風満帆な競泳生活だったが、パリ五輪で暗転した
でも、と続ける。
「視野が狭くなっていたな、と。最終的には、自分の事で精一杯になっていて、全く回りが見えていなかったし、自分の状況も冷静に判断できていませんでした。もしもドーハのあと、気持ちの整理をつけたり状況を見極めたり、やるべきことを明確にすることができていれば、きっとその後の練習への取り組みも変わっていたと思いますし、3月の選考会、そして五輪の結果も変わっていたと思います」
世間と自分の求めるもののギャップ
もうひとつ、本多を精神的に追い詰めた要因がある。世間が求めるものと自分が求めるもののギャップである。
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世間からの期待も、がむしゃらに突き進み、それで結果を残していたときは気にならなかった。世間の期待と自分の結果がイコールでつながっていたからだ。
しかし、がむしゃらにやっても結果が残せない状況に陥っているのに、世間はうまくいっていたときと同じ結果を期待する。徐々に結果と期待の関係性が崩れ始めたのだ。
卵が先か、鶏が先か。いつしか本多は、メダルを期待されているから獲らないといけない、結果を期待されているから結果を残さないといけないという思考に陥っていく。
背負わなくても良い期待まで、勝手に自分が背負わなくてはならないと思ってしまっていたのである。
「無意識のうちに、多くの人たちの期待を背負ってしまっていました。水泳が楽しくなくなったわけじゃないです。でも、辛かったのは事実です」
重たい、ひと言だった。
パリ五輪後、本多は長期休養を発表。友人に会ったり、旅行に出かけたり、思い思いの時間を過ごしてきた。
2024年11月から本格的に練習を再開しているが、正直に言えばまだ気持ちが100%水泳に向いているかというと、そうではない。
「でも、今はそれで良いと思っています。この試合では何を目指すか、という目標のレベルを、今までよりも1、2段ほど下げて、本当の今の自分に見合ったレベルでレースに臨んでいるので、すごく気持ちは落ち着いています」
過去、がむしゃらで積み重ねた成功体験を捨て去り、今、新たな道を切り開こうとしている。練習と試合への取り組み方、水泳に対する考え方、結果のとらえ方——。そのすべてを一新し、本多灯は再スタートを切ったのである。
<次回へつづく>
