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「辛かったのは事実です」東京五輪で銀→世界水泳で金…でもパリ五輪で「まさかの予選落ち」“日本競泳界のエース”はなぜプールから姿を消した?
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田坂友暁Tomoaki Tasaka
photograph byJMPA
posted2025/03/23 11:02
東京五輪では19歳の若さで200mバタフライで銀メダルを獲得。その後も順風満帆な競泳生活だったが、パリ五輪で暗転した
しかし、ドーハの金メダルのあと、本多を奮い立たせる“何か”が沸き起こる気配がないのである。
「今まで通りに頑張れば、きっと次が見つかるだろうと思って、ドーハのあともとにかく頑張りました。でも、それが良くなかったのかな。練習もとりあえず全力で頑張れば良いというだけで、何か目標を立てて、明確に何かを意識して練習することはできていませんでした」
がむしゃらさが生んだ「成功体験」が枷に…
本多が考え方を改められなかった理由に、がむしゃらに頑張ることで積み重なってきてしまった成功体験があった。
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中学時代も高校時代も、大学時代も、とにかく毎日の練習、目の前の練習を最初から最後まで全力で頑張ることで、結果を残してきた。今回も、明確なものは見つからないけれど、とにかくがむしゃらに頑張れば、パリ五輪も結果につながるだろう、と思ってしまったのだ。
だが、本多の心は限界を迎えていた。
思い返せば、3月の国際大会代表選手選考会の本多の泳ぎに、危うさの予兆が見えていた。150mまでは泳ぎも軽く、いつもの本多だったのだが、ラスト50mに入った途端に泳ぎが崩れた。本来であればここからさらに加速し、他を引き離していくのが本多の真骨頂であったが、残り25mになったところでビタッと加速が止まった。その隙に、日本大学の後輩、寺門弦輝(セントラルスポーツ)に追い上げられ逆転されてしまった。
かつて、国内ではラスト50mで逆転負けを喫する本多は見たことがなかった。
追い上げられた場面はあったものの、逃げ切るだけのスパート力は持っていたが、このときばかりは全く本多らしさがなかった。
「レースが終わった後、『こんなに頑張ったのにタイムが出なかった』という感覚に襲われました。その後のヨーロッパグランプリ遠征でも同じような感覚になってしまって。自分のなかで、練習の頑張り度と結果のギャップがどんどん大きくなっていきました」
初めての経験に焦りを感じた本多は、徐々に気持ちの余裕をなくしていく。その結果は、推して知るべし。パリ五輪での予選敗退であった。
このときの本多の表情は、今も目に焼き付いている。「ようやく終われた」という表情だったからだ。
「ドーハの金メダルのあと、勢いでやってこられたから、勢いで何とかなるだろう、と思っていたのがダメでしたね。勢いに任せてがむしゃらにやってきた僕らしいと言えば僕らしいのかもしれません」

