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「辛かったのは事実です」東京五輪で銀→世界水泳で金…でもパリ五輪で「まさかの予選落ち」“日本競泳界のエース”はなぜプールから姿を消した?
posted2025/03/23 11:02

東京五輪では19歳の若さで200mバタフライで銀メダルを獲得。その後も順風満帆な競泳生活だったが、パリ五輪で暗転した
text by

田坂友暁Tomoaki Tasaka
photograph by
JMPA
今だからこそ、振り返られる真実もある。
「やっぱり、東京五輪が終わってから3年間、結果を出すために大会にでなければならないということ自体が、ずっと自分にとってストレスだったんだと思います」
東京五輪の200mバタフライで、当時は伏兵に過ぎなかった本多灯は、端の8レーンから怒濤の追い上げを見せて銀メダルを獲得。その元気いっぱいなパフォーマンスとインタビューで一躍人気を博した。
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2022年、2023年の世界水泳選手権で2大会連続銅メダルを獲得し、ムードメーカーであった本多は日本代表チームの中核を担い、いつしか「エース」と呼ばれるようになっていく。
ドーハ世界水泳で悲願の金メダル
そしてイレギュラーながら2024年2月にドーハで開催された世界水泳選手権。
パリ五輪で金メダル争いをするであろうと予想されていたフランスの英雄、レオン・マルシャンと、200mバタフライ世界記録保持者のクリストフ・ミラーク(ハンガリー)のふたりが欠場しており、金メダルを獲得するチャンスだった。
大会前に左足首を捻挫するというアクシデントに見舞われるも、金メダルを獲得できる千載一遇のチャンスを逃したくない一心で気持ちを奮い立たせた本多は、困難を乗り越え200mバタフライで金メダルを獲得。東京五輪以後、願ってやまなかった金メダル、そして世界一という称号を手にしたのであった。
このとき、誰もが「お祭り男の本多だから、この金メダルでさらに勢いづいて、パリ五輪でも活躍してくれるはず!」と思っていた。だが、本人は全く別のことを感じていた。
「自分のなかで気持ちが落ち着いてしまった。なんとなく、ひとつの目標が達成されたと感じたんです」
初めてのことだった。今までは試合をこなすごとに、次にやりたいこと、挑戦したいことが自然と見つかり、自然と見つかる目標に向かってただひたすらに、がむしゃらに頑張るだけで結果がついてきた。