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巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/31 11:04

1996年の日本シリーズ。鬼の形相でボールにくらいつく落合博満(42歳)
オリックスとの日本シリーズの初戦は10月19日。逆算していつから打撃練習を始めなければならないかを考えた落合は、約1週間前からバットを振ることを決意する。時間が足りないのは自覚していたが、長嶋監督と約束したからには絶対に間に合わせてみせる。仮に強行出場したことによりつぶれたとしても、来年のキャンプまでに治せばいい。落合の長嶋茂雄への想いは一途だった。
「そこで、私は何を考えたか。1日で2日分の練習をして間に合わせることにしたのである。シリーズまでの数日間、私は昼夜兼行でひたすらバットを振った。およそ3000球は打ち込んだだろうか」(プロフェッショナル/落合博満/ベースボール・マガジン社)
午前中から打撃練習を開始して、チームの全体練習を終えた午後にも同じ数だけバットを振った。そのすべてのボールをひたすら投げ続けたのは、打撃投手の岡部憲章だ。阪神で現役引退後、東海大相模高の同級生・原辰徳の誘いで、巨人の打撃投手をすることになったあの岡部である。1994年7月中旬、球団から「落合担当になってほしい」と打診があって以来、背番号114は巨人時代の落合の欠かせない相棒だった。
イチロー23歳「落合さんはすごいスよ」
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オレ流が「『超』のつく一流まで腕を磨き上げたプロ中のプロ」と絶大な信頼を寄せる岡部の協力もあり、落合は長嶋監督の要望通り、本拠地での日本シリーズ初戦に「四番一塁」としてスタメン出場を果たす。故障箇所への衝撃を少しでも和らげようと、いつものように素手ではなく、左手には黒い革手袋をして打席に入る背番号6の姿があった。