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巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前

posted2025/01/31 11:04

 
巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1996年の日本シリーズ。鬼の形相でボールにくらいつく落合博満(42歳)

text by

中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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Sankei Shimbun

40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、3刷重版と売れている。
その書籍のなかから、「落合博満、巨人での最後の日々」を紹介する。“メークドラマ”の一方で、42歳落合博満は小指骨折の重傷を負った。その大ピンチを救った打撃投手とは?【全2回の前編/後編も公開中】

◆◆◆

8月31日の中日戦、落合は野口茂樹の死球を受ける。左手小指を骨折し、シーズン中の復帰は絶望視された。

落合が絶賛「最高の外国人選手」

「落合の穴は投手力でカバーするしかない。4点打線が1点から1.5点はマイナスになりますから」

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 頼れる主砲の長期離脱に普段は前向きなコメントが多い長嶋監督も広島や中日との三つ巴の優勝争いに向けて悲壮な決意を語った。

 ペナントレースは残り20試合を切っており、本塁打王を争う絶好調の松井は三番から動かさず、代役四番は来日2年目のシェーン・マックを抜擢する。

 落合も自著で「私の現役時代に出会った最高の外国人選手と言っても過言ではない。とにかく野球に対して真面目。試合でも練習でもよく悩んでいたが、その悩みのレベルも高く、悩みを解消するのも早かった」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)と絶賛した元メジャーリーガーのマックである。ツインズでも四番も打っていたが、日本野球に適応しようと試合後のスイングルームに落合を呼んで、自分のフォームをチェックしてもらう貪欲さを持っていた。

 9月18日には広島と同率首位で並び、24日に東京ドームで広島との直接対決を制すと残り6試合で初の優勝マジック5が点灯。一度は消えたが、10月1、2日のヤクルト戦で斎藤雅樹、槙原寛己が連続完封でついにV王手。メークドラマのフィナーレは129試合目に訪れる。10月6日、中日に5対2で勝利すると名古屋の夜空に長嶋監督は7回宙を舞った。そして、「必ず優勝するから、治療に専念して日本シリーズには間に合わせてくれ」と長嶋監督から言われていた落合は、ここからシリーズでの復帰に向けて人知れず始動する。

医者はNGなのに…「3000球は打ち込んだ」

「私の骨折は順調に回復していたが、骨がくっついたからといって、すぐにプレーができるわけではない。ここから体をつくり直し、バットを振れる状態にして初めて試合に復帰できるのだ。ところが、日本シリーズ開始の10日前になっても、骨は完全にくっつかなかった。私には、もう本当に時間がなかった。そこで、医者の制止を振り切って練習を始めることにした」(コーチング 言葉と信念の魔術/落合博満/ダイヤモンド社)

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