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心残りは「井岡一翔選手と戦えば勝てたと思う」“世紀の番狂わせ男”木村翔が引退を決意した理由…「僕みたいなボクサーはハングリーさがないと」
posted2025/05/12 11:04

引退後は念願のジムを故郷の熊谷で開いた木村翔。街を盛り上げるために貢献していきたい、と熱く語る
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Tadashi Hosoda
五輪2連覇を果たした世界王者ゾウ・シミンからWBOのベルトを奪ったプロ叩き上げの木村翔は、破竹の勢いで連続KO防衛を重ねていた。リスクを恐れず強敵と戦い続けるチャンピオンの注目度は、高まるばかりだった。
強敵・田中恒成からの挑戦
2018年9月24日、成り上がりの王者は、またも手強いアマチュアエリートの挑戦を堂々と受けた。名乗りを上げてきたのは、当時、世界最速で3階級制覇を狙っていた田中恒成(畑中)だ。指名試合だったとはいえ、開催地は敵地の名古屋。試練に次ぐ試練である。
「僕が所属していたのは小規模の青木ジム。自主興行できるような大きなところじゃなかったので……。初防衛の五十嵐(俊幸)さんは世界ランク1位、2戦目のフローイラン・サルダールは4位、3戦目の田中恒成君は1位でしょ。まったく自分で選んでいない。
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本音で『強い選手と試合したい』なんて、現役時代から口にしなかったです。なんなら弱いヤツでいいって話していたので。防衛できるのが一番だから。でも、僕に権限などなかった。これは小さなジムに入った宿命みたいなもの。誰が相手でも倒して勝てばいいんでしょ、と割り切っていました」
チャンピオンの間に稼いでおかないと
冗談交じりに振り返るが、チャンピオンになってからの方がより練習に励んでいたという。ボクシングを生業とする者として、こだわっていたことがある。
「プロである以上、ファイトマネーが高い選手とやるのは当たり前。だから、中国でも試合をしていました。お金がすべてではないけど、チャンピオンの間に稼げるだけ稼いでおかないとなって。僕が若い頃、貧乏野郎だったこともあるのでしょうね」
挑戦者の田中には僅差の判定(0-2)で敗れ、世界王座から陥落。勝敗を分けたのは紙一重の差だった。7ラウンドにレフェリーにスリップと判断されたシーンが、もしも田中のダウンになっていれば、ドローで防衛できた可能性もあった。過去を思い返せば、「もっとこうしておけば良かったと思うことはたくさんありますよ」としみじみ話す。