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巨人FA移籍「落合vs清原」騒動…落合博満が清原和博にダメ出しした日「高校時代のほうがよかったな」清原の告白「西武では孤立していた」
posted2025/01/31 11:05

1988年の日本シリーズ。西武・清原和博が出塁し、中日・落合博満と談笑する
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
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Sankei Shimbun
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、3刷重版と売れている。
その書籍のなかから、「落合博満、巨人での最後の日々」を紹介する。42歳落合博満は清原和博のFA移籍騒動に巻き込まれていく。じつは2人はその10年前から“師弟関係”だった。【全2回の後編/前編も公開中】
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落合「あ、このシリーズは打てないな」
「実際、シリーズではバッティングになっていなかったじゃない。骨折箇所の痛みだけじゃなくて、その影響でいろんなところの痛みが出てくるから、どう振ったら一番負担が少ないかというのを手探りしていたような状態だよね。だから、自分でも思ったよ、あ、このシリーズは打てないなって。第1戦の最初の打席で(星野伸之から)センター前に打ったけど(先制打)、あれは“休み肩”と一緒。よく休み明けの馬がよく走ったりするでしょ。あれと同じことだよ。その証拠にその後は打ってないでしょ」(不敗人生43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
1996年の日本シリーズ、落合は初戦で猛打賞を記録するも、それ以降はわずか1安打と沈黙。負傷箇所は万全とは程遠く、第4戦では7回に小林宏から死球を受けるなど、1試合3四死球と相手バッテリーから徹底的にマークされた。4勝1敗でオリックスが初の日本一に輝くと、落合は「終わったよ。これでゆっくり休める」と多くを語らず、グリーンスタジアム神戸をあとにした。
落合「問題は清原だよ。もったいないよな」
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そして、日本シリーズが閉幕すると、「FAするにしてもしないにしてもシリーズが終わってからはっきりさせたい」と発言していた西武の清原の動向に注目が集まる。プロ11年目のシーズンを打率・257、31本塁打、84打点という成績で終え、自身8年ぶりの全試合出場を果たすも、悲願の本塁打王のタイトルはトップのニール(オリックス)にわずか1本差で涙を飲んだ。3年連続首位打者のイチローを擁するオリックスがリーグ連覇を飾ったことにより、西武と清原の時代は終わったと指摘する声すらあった。通算329本塁打のスラッガーも近年は精彩を欠いていたが、その清原のことを気にかけ、メディアを通して叱咤激励し、オールスターやオープン戦で顔を合わせれば打撃のアドバイスを送ったのが落合だった。それどころか、20歳以上離れた自分と松井の間に、中間世代の清原が入ればワンクッション置けると巨人サイドに獲得を進言すらしていたのだ。