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巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/01/31 11:04

巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1996年の日本シリーズ。鬼の形相でボールにくらいつく落合博満(42歳)

 四番落合は、初回の第1打席で星野伸之からセンター前へ先制のタイムリー。4打席目と5打席目も安打を放ち、いきなり猛打賞の復活劇を見せる。試合は3対3の同点で迎えた延長10回、イチローが河野博文から決勝アーチを叩きこみオリックスが先勝するが、そのパ・リーグ3年連続MVPの背番号51ですら、自分より20歳上の打撃職人の技術に感嘆した。

「何かで“ヒットだけならばいつでも打てる”というのを読んだことがあるけれど、それもわかるなって感じ。ホレボレするような技術がありますネ。特に、8回の鈴木(平)さんから打ったライト前安打なんて、これがバッティングってお手本でしたもの。すごいスよ」(Number405号)

 イチローと松井秀喜という平成の新世代スター同士の顔合わせは「ドリームシリーズ」と話題を集め、第1戦が行われた東京ドームには4万5121人の大観衆が集結。ドーム開場以来最多の2000人の徹夜組が並んだ。日本中が注目した大一番のCMは1分間3000万円にまで跳ね上がり、関東地区で43.1%のテレビ視聴率を記録する。

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 当日、日本テレビのゲスト解説に呼ばれたのが、西武の清原和博だった。子どもの頃、祖父の膝の上に座って見たテレビの中の煌びやかな巨人戦。王貞治がホームランを打つと、決まって「和博、日本一の男になれ」と大好きな祖父は笑った。少年時代の輝ける記憶は、ときに男の人生を決める。あの頃、憧れた夢の舞台は、すぐそこにあるかのように思われた。去就が注目される中、清原はこの8日後、ついにFA宣言をするのである。

◆◆◆

「高校時代のほうがよかったな」巨人FA移籍「落合vs清原」騒動……42歳落合博満は29歳清原和博のFA移籍騒動に巻き込まれていく。

<続く>

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#2に続く
巨人FA移籍「落合vs清原」騒動…落合博満が清原和博にダメ出しした日「高校時代のほうがよかったな」清原の告白「西武では孤立していた」

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