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「箱根は厳しい。でも(早大は)優勝しますよ」瀬古利彦が断言…その根拠は? 40年前の箱根駅伝「奇跡の連覇」から連なる“早稲田の系譜”ウラ話 

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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posted2025/01/27 11:03

「箱根は厳しい。でも(早大は)優勝しますよ」瀬古利彦が断言…その根拠は? 40年前の箱根駅伝「奇跡の連覇」から連なる“早稲田の系譜”ウラ話<Number Web> photograph by Takeshi Shimizu

「(早大は)優勝しますよ」と断言した瀬古利彦。その言葉のウラには40年前の「連覇の記憶」と、その後の大事故があった

 田原は競技を続けず、陸上部のない味の素へと就職した。

 現在は営業部門の常務という重責にある。味の素には600人の食品営業担当者がいて、そのまとめ役を務める。

 メンバーたちの原点になった瀬古は、エスビー食品を退社後、DeNA総監督を経て現在はDeNAアスレティックエリートのアドバイザーを務める。日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーも24年まで担った。

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 マラソン15戦で10勝したが、五輪の金メダルは取れなかった。80年のモスクワは不参加、84年のロサンゼルスで14位に終わったことは、広く知られているだろう。

「中村監督が84年、早稲田監督を辞任した後、ロスで是が非でも私が金メダルという使命感が強すぎちゃった。ご自身でプレッシャーをかけている気がして」

 師匠は怒りっぽく余裕をなくしていた、と瀬古は振り返る。

「千駄ヶ谷組」に衝撃を与えた事故

 金井豊、谷口伴之、坂口、遠藤といった「千駄ヶ谷組」は、卒業後に中村のいたエスビー食品へと入社している。彼らを語るうえで避けられないのが、90年の交通事故だ。

 8月、北海道常呂町で行われていた合宿で選手らが乗っていたワゴン車が対向車と衝突事故を起こし、5人が亡くなった。被害者には、金井と谷口が含まれていた。

 彼らは北京のアジア大会に出場するため札幌に集合することになっていて、女満別空港に向かっていた。

 交通事故についてですが――と尋ねると瀬古は手の平で顔をぬぐってから、話し出した。

「いやあ、選手たちが飛行場に着いていないんだけど、どこに行ったんだと探していた。出発してから2時間ぐらいかなぁ。所沢ナンバーの車がひっくり返ったと言うわけ。彼らは所沢ナンバーの車で行ったんだよと。それで、事故だとわかった」

 常呂町の病院と網走署にけが人が搬送されていた。駆け付けて、関係者だと確認した。エスビー食品と早稲田による合同合宿の最中で、エスビー監督、早稲田のコーチをしていた瀬古が責任者だった。

「谷口のところはちっちゃい子がいて、電話するのが一番、苦しかった」

 谷口には2つ違いの弟がいた。知り合いの新聞記者から第一報の電話を受けたという。

「兄貴が死んだみたいだ、って。テレビをつけたらそのニュースがやっていた」

 父と義理の姉と、生まれたばかりの子供とその日のうちに現地に行ったと思う、という。肉親にとってこれ以上の衝撃はない。記憶は曖昧だという。そしてこうも言う。

「悲しみはずっと変わらない。兄は、箱根は3年生からで1、2年は長距離をやってないんです。エスビーに入った当初は、周りは実績のある選手ばかりで大変だったと思います。精神的にまいったこともあったようで、正月とか酒を飲んだ時にねっとり絡まれたりもしました」

【次ページ】 「箱根は厳しいですよ。でも将来、優勝しますよ」

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