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「江夏の引退試合を甲子園でやらせてください」に阪神オーナーがNO…大投手・江夏豊が泣いた日「メジャー可能性75%→クビに…現役引退するまで」

posted2025/02/14 11:06

 
「江夏の引退試合を甲子園でやらせてください」に阪神オーナーがNO…大投手・江夏豊が泣いた日「メジャー可能性75%→クビに…現役引退するまで」<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

1985年1月19日、多摩市営一本杉球場での「江夏豊たった一人の引退式」

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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BUNGEISHUNJU

「江夏豊たった一人の引退式」――阪神、南海、広島、日本ハム、西武を渡り歩いた当時36歳の大投手・江夏。なぜどの球団からも見送られずプロ野球を去ったのか? 40年前の“不思議な引退試合”の真相を探る。【全3回の後編/前編中編も公開中】

◆◆◆

「大リーグに興味ない?」

 1984年10月15日、大阪・道頓堀の「はり重」で、西武ライオンズから戦力外通告を受けたばかりの江夏豊の取材が行われた。居合わせたのはスポーツライターの永谷脩、カメラマンの永友正啓、雑誌『Number』初代編集長の岡崎満義、『Number』編集部員Sの4名である。気心の知れたマスコミ相手の取材とあって、江夏自身も名物のすき焼きをつつきながら、リラックスした時間をすごした。

 2時間超の取材を終えると、江夏は一行と別れて旧知の人物と会った。南海ホークスの通訳兼調査担当(当時)の古賀英彦である。古賀は開口一番「大リーグに興味ない? その投球術があればまだ通用する」と言った。

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 今でこそ日本人メジャーリーガーは欠くことの出来ない存在だが、41年前のこの時代、メジャー経験のある日本人選手はサンフランシスコジャイアンツに所属した村上雅則のみ。この時期も元巨人の小川邦和、元大洋の高橋重行、元ロッテの浜浦徹などの投手が海を渡ったがいずれもマイナー止まりだった。

 翌月、江夏は古賀の紹介でシカゴカブスの代理人・ミヤサンドと面会する。交渉はまとまらなかったが、ロス在住でミルウォーキーブリュワーズの太平洋地区担当・ダン野村と連絡を取ると話は進み、ブリュワーズのスカウト部長・ポイントベントは2月の春季キャンプでテストを受けることを承諾。江夏のメジャー挑戦が始まったのである。

「甲子園でやりたい」に阪神オーナーがNO

 10月15日の夜、道頓堀「はり重」での取材を終えて、江夏豊と別れた4名の取材陣は「呑み直そう」とばかりに夜の街に繰り出した。話題は専ら江夏の去就で「あれだけの天才をこのまま放り出していいのか」「我々の手でやれることはないのか」などと各々が大投手の不遇を嘆きつつ熱い思いを吐露し「だったら『Number』編集部の主催で江夏の引退試合をやろう」という驚愕の結論に達した。

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